はじめに
村上春樹訳版で再読したもんで、こうは書いたけど、やっぱり『ライ麦畑でつかまえて』ってタイトルの方がいいのかな。でも、面白いもんで『キャッチャー・イン・ザ・ライ』って調べてもちゃんと同じところにリーチできることを確認できた。なんだよ、まったくのインチキじゃないか……ふたつは同じように聞こえたって、全然違うって言うのにさ──。
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何が言いたいかって、これは翻訳の更新じゃない。まったくの別物なんだよ。でもね、僕は文句が言いたいんだって話じゃないんだ。全然ちがう、反対のこと。感謝なんだ。ほんとだよ、それだけ。ただいつものとおり、まず口が出るんだ。やっかいなもんで、思っていること全部、精査なしで、気がついたら声に出している。彼風に言えば「やれやれ」ってこと。
本当の話をする。結局、後の読み手には関係のない話なんだ。村上春樹がチャンドラーを翻訳にしたように、サリンジャーの、いやホールデンの言葉を、僕たちに届けてくれて、助かる。ほんとのほんとうに、冗談抜きで。こんなことを書くと、理解が足りていない奴はね、誤解しちゃうことがある。僕が言いたいのはね、『ライ麦畑でつかまえて』が悪いって話では全然ないんだ。そこだけは絶対に間違えないでね。むしろ、それが無かったなんて想像したら、まったく恐ろしい話なわけ。写真の左、やっぱコレだよね。ここにさ、これでもかってくらいの付箋を貼ってさ、まあ、ほんとうはそんなことしなくたって全部覚えているんだけど。とにかくそれをジャケットの中か、鞄にいつも潜ませていた、あの頃が懐かしい。ホールデンは、最高の相棒なんだよ。ほんとうの話。冗談抜きでね。
さて、「脱線!」って君は言ってもいいし、それとも「わき道!」かな。分かっているって、そろそろ本題に入ることにする。

やれやれ。って聞くとどうしても空条丈太郎を思い出しちゃう

やれやれだぜ・・・。
基本情報
作者はJ・D・サリンジャー。1919年生まれのアメリカ人作家。第二次世界大戦に従軍して、ノルマンディー上陸作戦にも参加してる。戦争をくぐり抜けて、1940年代から短編を発表し、1951年にこの小説を書いた。日本での発表は1964年に野崎孝訳で、2003年に村上春樹訳とある。ほかの代表作としては、『ナイン・ストーリーズ』『フラニーとズーイ』。が、そのくらい。ほかにもあるだろうが、何が言いたいかって、寡作なんだ。でも、サリンジャーの名前って、かなり知名度高いよね。それはそう、なんたってコレ、全世界累計6500万部という爆ヒットなんだ。今も年間数十万部とかのペースで売れ続けているらしい。で、そんなオバケ小説を世に生み出したサリンジャーなんだけど、彼のその後が、なかなかにドラマなんだ。彼は、1965年以降、新作を発表しなくなったんだ……
というのはね、彼は山奥に引っ込んだ。取材も断る。写真も撮らせない。世間にうんざりしてたのか、名声に吐き気がしたのか、それは本人にしかわからない。でもね、ホールデンみたいな男を生み出した人間が、社交界でニコニコしてるとは思えないだろ? フライング!! そうだった。ホールデンを知らない人もいる。でも、君も彼を知れば納得だよ。ほんとうの話。冗談抜きでね。
ちなみに山奥の彼の自宅にはね、金庫があるって噂なんだ。そこに未発表原稿が保管されている──と。で、死後に公開されるとか、いや整理中だとか、噂ばかりが先に歩いた。作家が沈黙し、作品だけが残る。なんていうか、それにしてもホールデン的なんだ。世界に背を向ける感じがね、とっても。──だ・け・ど、実はもう死んじゃった。2010年の話。老衰で死去。91歳だった。で、ここからの話はね、信じるか信じないかは君しだいなんだけどね、遺族が、サリンジャーの未発表原稿を所有しているって話。で、出版に向けた準備が進められている、なんていう話もあったりするんだ。
そして、いよいよ本題。この小説は、

なんだ。その話をする。
『ライ麦畑でつかまえて』(原題:The Catcher in the Rye)は、世界中の若者のバイブルになった。体制にムカつく。大人が「インチキ」に見える。学校を放り出したくなる。そんな気分を、初めて真正面から言語化した小説だった。
また文学的にも衝撃だった。語り手が信用できない。一人称のくだけた語り。内面の揺れ。後の青春小説、ビート文学、さらには村上春樹的な“やれやれ”系にも影響があると言われているんだ。
そして、『攻殻機動隊』の「笑い男」。

このマーク。そして「個人の孤独な反抗」というモチーフは、この小説の一節から引用されている。
I thought what I’d do was, I’d pretend I was one of those deaf-mutes.
(僕は耳と目を閉じ、口をつぐんだ人間になろうと考えたんだ)
巨大なシステムに対する個人の違和感。世界は繋がっているようで、インチキまみれ。見せかけで、誰も本当のとこは、ひとり。サリンジャーのホールデンと、電脳社会の「笑い男」。時代は違うが、孤独の形は似ている──
で、ここまで来たならついで、もう少し調べて見ました。本作は、アメリカはもちろんだけど、世界中で大ヒットした。じゃあ、日本ではどうだったのだろう……
予想できた。ありていに言えば、そこまでじゃなかった。1950年代当時、日本はまだ戦後復興のさなか。個人の反抗より、集団の再建が優先された時代だった。だからホールデンの「自意識の嵐」は、少し浮いた。そもそも日訳は1964年と、遅い。というのもあって、正直に言えば日本においては、「若者の聖書」になりえなかった。だがしかし、「一度は読む問題作※」みたいなポジションに位置していたのだろうと推測できる。きっと、流行ってはいない。ただ、静かに刺さる、そんな立ち位置なんだと思う。
読了目安時間は7時間。全世界累計6500万部、世紀の問題作にして、永遠の青春小説。君も、愛しきホールデンに会いに行こう──
※この問題作って話だけど、これはほんとうの話。アメリカで「禁書」だったんだ。どうしてかって、ホールデンの言葉遣いや態度が悪いから、学校や図書館では取り扱わなかったって話。そう言えば昔、こういうのあったよね。たとえば『クレヨンしんちゃん』や『ロンハー』なんかがそうだった。でも今、しんちゃんにはそういう話は聞かないな。だいたいこのご時世にさ、規制なんて、ほぼほぼ無理だよね。そもそもだよ、そういう行為自体がインチキに映ったりすると思うんだ。だってさ、大人が『ロンハー』観てゲラゲラ笑ったりしているって話でしょう。それじゃあやっぱりインチキだ──とか双方にも多分に言い分はあるのかもしれないが、きっと平行線。やめよう、不毛だ。
同じくアメリカ人作家レイモンド・チャンドラー『長いお別れ』の村上春樹訳(『ロング・グッドバイ』)も、記事にしている。よかったら読んでみてほしい。ちなみに刊行時期も近い。同じ時代に世に出た傑作。こちらはハードボイルドで、主人公のマーロウがカッコよくって、実にマッチョなんだな。是非!
簡単なあらすじ
If you really want to hear about it ──なんて言う気はないけどさ。俺はホールデン・コールフィールド。どうやらペンシー校を追い出されることになった。やれやれ、かれこれこういうのは30回目くらいの話なわけ。まったく大した記録だ。なのにさ、誰ひとりこの偉業を祝ってなんかくれないんだ。ただ、「ああ、ホールデン。なんてバカなことをしたの」だとか「あいつは大馬鹿野郎だ」とか、そんなもん。でも何が一番嫌だったって、「またどこかで」なんて言った大嘘つき野郎だ。「あばよ」ならよかった「さよなら」ならもっとよかった。だのに、「また」はクソだ。クソ、クソ、本当にクソだって話。
それで、寮を飛び出してニューヨークをほっつき歩くんだが、会うやつ会うやつみんなインチキなんだ。教師も、同級生も、バーで気取ってる連中も。「君はまだ子どもなんだよ」なんて言われるたび、ぶん殴りたくなるんだ。ほんとうの話。冗談抜きで。
それでも妹のフィービーだけは別だ。あいつはまともだ。「あんた将来何になりたいの?」って聞かれてさ、俺は言うんだ。「ライ麦畑で遊んでる子どもを、崖から落ちないように捕まえるキャッチャーになりたい」って。笑えるだろ? ほんとうの話、落っこちそうなのはいつもの俺のほうなのにな。どうしようもなくさ──
いつもならここは裏表紙から引用していることが多いんだけど、なかったもんで、書いてみた。だからそういう意味で正しくは「あらすじ」じゃない。どうしてかって、さすがに30回は誇張し過ぎだ。でも、ここのところの言及は無かったけど、きっとホールデンがそのことを話すのなら、きっと「0」ひとつ付けたと思うね。ほんとうの話。と、こんな感じでホールデンを思いながら書いてみると、楽しいんだ。そして、少し、だけど彼のことが分かったような気になる、なるんだ。ほんとうの話。冗談抜きでね。憑依、まではいかない。でも、≒代弁はあるかも。コノ想いの出どころが、彼じゃなかった場合、やはりそれは僕のなんだ。ごめんよ。回りくどくなっちゃった。少なからず僕にはさ、この世界のほとんど全部がさ、インチキにみえるんだ。ここに、何て言葉を当てるのが正解なんだろう……とりあえずこう言っておく。コンプリケーション。それだけ──
面白いと思うところ
理想主義者で誇張癖あり、衝動的で自己嫌悪と自己愛が同居している、よく嘘をつく。嘘──ではあるのかもしれないんだけど、簡単な嘘じゃない。そのくせ嘘に酔えない。彼は、世の中の全部がインチキに思えてきてしまって、苦しい。でも、かく言う自分も演技しているって話。大人になりたくないのに、大人ぶる。孤独が嫌いなのに、人を遠ざける。ほんとうの話、めんどくさい。繊細・過敏、いささかそれが過ぎる感じ、だけどそんなホールデンの言葉が、いい。すごくいいんだ。
ここでは、数多あるホールデンのセリフをピックアップ※してみる。彼が紡ぐ言葉が全部、本作の魅力であって、面白いところなんだ。さあ、一緒に彼の声を聴いてみよう──
※大事な?(僕はあまりそう思わないけどね) 注釈をしとく。先に書いたように、僕は全部覚えているんだ。少なくてもそのつもりでいる。だからね、まあ訳者の違いもあるだろうから、セリフの、世間一般的間な正確性の担保はしない。という話。少しね、ややこしいんだ。
ホールデンのね、たとえばこんな感じのやつ
「アリーは2つ年下だったんだけど、僕よりだいたい50倍くらいは頭がよかった。」
こういう誇張に、
「彼女は通路に突っ立って、一切の通行をブロックしていた。人の通行をブロックするのが三度の飯より好きな女なんだよ、見るからに。」
こんな毒。
印象に残っているのは、
「奴の着ているシャツの白さにすら腹が立つ」
コレだね。このセリフ、『攻殻機動隊』ではトグサも言っていたね。すごく好きなんだ。
どんどん行くよ。
「あいつの声を聞いているだけで、こっちが汚れる気がした」
ストラドレイターやインチキな大人に向ける視線。相手が何か悪いことをしたわけじゃない。でも“感じ”が気に入らないんだ。ホールデンの怒りは、倫理じゃなくて感覚なんだ。
「ああいうタイプのやつを見ると、どうしようもなく気分が悪くなるんだ」
説明できない嫌悪。社会に適応している人間への、理屈を超えた反発。
「やつは本当に立派そうに見えたよ。だから余計にいやだった」
これは重要で、とにかくね“立派そう”なのが嫌いなんだ。本当に立派かどうかじゃない。“そう見せる”のがインチキに思える。
「映画ってやつは、大嫌いなんだ。ほんとうの話。」
これも象徴的で、彼は作り物が嫌い。でも自分も作り物(という嘘)を使うんだよね。
「大人ってやつは、ほんとうにみんなインチキなんだ。」
極端。でも彼の世界認識は、だいたいこのテンション。
「ああいうやつを見ると、ぶん殴りたくなるんだよ、ほんとうの話。」
理由はない。態度とか、歯の見せ方とか、ネクタイの締め方とか。とにかくね、“ちゃんとしてる感じ”がもうダメ。ホールデンは秩序そのものに過敏なんだ。
「あいつは自分の声に酔ってるタイプなんだ。」
これ、めちゃくちゃ刺さる。教師とか、演説するやつとかに向ける視線。内容よりも“自己陶酔”が見えると一瞬で拒絶する。
「やつは完璧すぎるんだ。それが気持ち悪い。」
これもシャツの白さ系。完璧=嘘くさい。人間はもっと不格好であるべき、という無意識の理想なんだろな。
「みんな大人ぶってる。ほんとうは子どもなのに。」
これなんか逆転だよね。自分が子どもなのに、大人を子ども扱いする。防衛としての攻撃。
「話してるうちに、だんだん自分がいやになってくるんだ。」
これはインパクト大。他人への嫌悪が、すぐ自己嫌悪に反転する。ホールデンは外に刃を向けながら、同時に自分を刺しているんだ。
「あいつらはほんとうに楽しそうだったよ。だからよけい腹が立った。」
これも、重要。幸福への怒り。自分がそこに入れないと感じた瞬間の、むき出しの感情ね。
次で最後にする。
「子どもってやつは、ほんとうにいい。インチキじゃない。」
でも現実には、子どもだってインチキはする。彼が守りたいのは“現実の子ども”じゃなくて、“自分の失われた純粋さ”なんだろうな──きっと。
ホールデンの毒ってさ、社会風刺みたいに見えて、実は劣等感と孤独の裏返しなんだ。
こういう人にオススメ
これね、実はなかなか難しい話で、ちょっと困ったわけ。というのはさ、正直に言うとこの問題作は、誰にオススメだって、上手く言語化するのに骨が折れる。別に、
・大人にムカついている人
・自分がインチキなんじゃないかと疑っている人
・『攻殻機動隊』で「笑い男」が気になった人
とか、こんな風に書くことはできるけど、なんか違うんだよね。全然分かっていないみたいなんだ。まあ、いくぶん『攻殻機動隊』を観て、まだ本作を読んでいないのならば、読んでみるといい。モチーフになったホールデンを知れる。現に、私が今回何度目かの再読をしたきっかけは、同じく何度目かの『攻殻機動隊』を観て、どうしようもなくホールデンを思い出して、会いたくなったからなんだ。
──ここで丁度いいセリフ? があった。こんなセリフなんだ。
誰かのことを話すと、その人が恋しくなってしまうんだ。
これは、読者も同じだ。読み終わると、あの嘘つきで誇張癖のある、めんどくさい少年が少し恋しくなる。──脱線!
いけない、誰にオススメだって話だったのに、すっかり彼に会ったことを前提に話していた。彼のことは、あの愛らしさは、又聞きではムズカシイ。君も、会ってみるといい。ちょっとクセはあるけど、いい奴だよ。少なくても悪い奴ではない。ただね、いささか過敏なんだ。繊細って言ってもいい。その点は、頭に入れておいて。あと、インチキだけはダメだよ。
蛇足、かもしれないが、そうじゃないと信じたい。本作は、1951年の小説で、当然スマホもSNSもない。そんな時代の話。でも結局のところ、孤独・疎外・自己嫌悪はアップデートされていないと思うんだ。なんだよ急にって、ごめん、それもそうだ。ただね、僕が言いたいのはさ、むしろ今のほうが「見せかけの自分」を演じやすい。の、かもしれない。だからホールデンは古くない。
ただし、テンポや文化背景に距離はある。そこを超えられるかで評価は分かれると思う。日本で大ヒットし続けないのは、共同体文化の違いもあるかもしれない。でも、刺さる人には、とことん刺さるんだよね。言葉は悪いけど、悪い? が、僕みたいな中二病出身の身としては、ほんとグサリグサリと抉るんだよね。ホールデンの言葉って──
読んだ人向け
結局のところ、なんの話なんだろう。——本作のテーマは?
これは成長物語か? たぶん違う。
ホールデンは劇的には変わらない。じゃあ反抗の物語か?
それも違う。彼は革命家じゃない。ただ傷ついた少年だ。
本当のテーマは「喪失」だと思う。アリーの死。子ども時代の終わり。純粋さが崖から落ちる瞬間。彼はそれを止めたい。でも止められない。そんな話なんじゃないかと、僕は思う。
なぜ若者の心をつかんだのか?
大人社会の偽善を見抜く目と、自分自身の弱さを認めきれない揺れ。その両方を抱えているから。読者は、自分の“本当と嘘の混ざった心”を見る。
どこまでが本当で、どこまでが嘘か?
語り手は平気で嘘をつく。でも感情だけは嘘じゃない。事実は曖昧でも、孤独はほんとうだ。それが、たまらないんだよな、きっと。
ホールデンの嘘の正体について
ホールデンは誇張する。
でも彼の語りは、感情の振幅をそのまま出している。
嘘は防衛だ。
弟の死の痛み。性への不安。大人への恐怖。耐えきれないから、冗談にする。
つまり、語りは“歪んだ鏡”。歪んでいるが、映しているものは本物だ。ほんとうに。
ホールデンって、〇〇かな?
〇〇は「童貞」って読む。って、こんなことを考察するのは、酷い話かもしれないね。そもそも、聞くのも考えるのも、野暮だ。──分かっているって、冗談だよ、まじで。言葉を変える。とにかくさ、かなり慎重だよね。か、少しビビりなんだろう──
──いや、野暮じゃない! そういうところを気にしたくなる小説なんだよ、ほんとうの話。ホールデンは慎重というより、臆病で、繊細で、過敏なんだと思う。
ビビり? うん、ビビりだね。それも、かなり。でも、あれは単なるヘタレじゃない。彼は「傷つくこと」に対して異常に敏感なんだ。
・他人に拒絶されるのが怖い
・大人の世界に飲み込まれるのが怖い
・自分が“インチキ側”に回るのが怖い
だから先に相手を“インチキ”と呼ぶ。
だから先に逃げる。
だからセックスの直前でブレーキを踏む。
慎重というより、防衛本能の塊。しかも、彼は自分がビビっていることも分かっている。そこがまたきつい。自意識が鋭すぎるんだ。ほんとうの話、ホールデンは勇敢じゃない。でも卑怯でもない。
ただ、「大人になる速度」に耐えられない少年なんだと思う。
だから読者は笑いながらも、無下にできない。守りたくなる。ビビり? そうだよ。でも、それが彼の誠実さでもあるんだ。 君は、どう思った? 愛しきホールデンのことを──
って、こんな考察まで書いたけど、こんなもの、ぜんぶクソ喰らえだ。あばよ──
ホワイトデーのお返し決めた?
今年こそセンス良く買ってみませんか?



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