基本情報
火のあとに残るもの、そして「キリ」という存在
映画『アバター』シリーズは、観るたびに「時間の感覚」が狂います。上映時間は確かに長い。しかし体感はそれ以上……これ、きっと共感できるでしょう。
『アバター:ファイヤー・アンド・アッシュ』(以下『アバター3』)では、まるで8時間ほどパンドラに滞在していたかのような感覚を覚えました。それは決してネガティブな疲労ではありません。
むしろ、現実世界の時間が引き延ばされ、映画の内部に沈み込んだ結果です。
本作は「火」の映画であると同時に、「時間」と「存在」を問う映画でした。本記事では、シリーズ1・2作目のおさらいから入り、『アバター3』の特徴、そしてネイティリとキリという2人の女性を軸に、最後は「キリはエイワの分身なのか」と、「人類は許されるのか」という問いまで辿り着きたいと思います。
ちなみに上映時間は、なんと197分! 監督は、ジェームズ・キャメロン!
『アバター』シリーズのおさらい
『アバター』(2009)
1作目は、「異星文明との遭遇」を描いた物語でした。人類は資源採掘のため、惑星パンドラへ侵攻します。主人公ジェイク・サリーは、ナヴィの肉体=アバターを得て彼らの社会に溶け込みますが、次第に人類側の論理に疑問を抱き、ナヴィとして生きる道を選びます。
本作のテーマは、植民地主義・自然と文明の対立・身体のアイデンティティでした。
『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター(アバター2)』(2022)
2作目では舞台が海へと広がります。ジェイクは家族を持ち、守るべき存在が増えました。物語は「戦う理由」から「逃げる理由」へと変化します。この作品の中心にあるのは、家族・継承・適応です(「物語」より「生活」に近づきました)。
映像的にも、水という要素が加わることで、時間の流れがさらに緩やかに感じられる構造になっていました。
簡単なあらすじ
3作目で提示されるのは、「火」と「灰」。水の次に火が来るのは必然です。文明も、怒りも、革命も、すべて火から生まれます。しかし本作は、火を肯定する映画ではありません。むしろ問いかけてくるのは、
火を起こしたあと、何が残るのか
ということです。
火は文明であり、革命であり、破壊です。
灰はその後に残る記憶であり、歴史です。
本作では、パンドラの新たな部族として火の部族が登場します。それは、激情と正義をまとった存在として描かれます。彼らは間違っていない。だが彼らの行動のあとには、必ず「灰」が残る。この「灰」こそが、本作の隠れた主題です。
ジェイクたち一家は、これまで以上に複雑な対立構造へと巻き込まれていきます。人類とナヴィという二項対立ではなく、ナヴィ同士の価値観の衝突が物語の軸として浮かび上がってくる点が、本作の大きな特徴です。

私の中の火のキャラと言ったらBLEACHの山本元柳斎重國!

2022年から始まった千年血戦篇のアニメーションも凄くいいんだよね。
面白いと思うところ
世界が「説明されない」贅沢
『アバター3』は、観客に多くを説明しません。新たな部族、新たな風習、新たな環境が、説明抜きで当たり前のように提示されます。観る側は理解するより先に、受け入れることを求められます。
善悪が曖昧になる物語
これまで比較的明確だった「敵・味方」の構図が、本作では揺らぎます。誰もが自分の正しさを信じて行動し、その結果として衝突が生まれる。
この曖昧さが、物語に深みを与えています。
視覚情報の密度(圧倒的ビジュ!)と体感時間
ぜひ劇場で観て下さい。3Dで、なんなら4DX! 体験できます。世界に、溺れそうになります。どう言語化していいものか、観客は、目の前のスクリーンを埋め尽くす情報の洪水の中に置かれます。息が出来なくて苦しい?……いや、違う。できる、その中にいる。不思議と疲れない。ただ心地よい。映像が質量を持って、あなたはきっと、その中にいるみたいに感じるでしょう。
なぜ体感時間が引き延ばされるのか
考えられる理由は、
1) カット割りが少ない
アバターシリーズは、ワンカットの滞在時間が非常に長い。脳は「次の展開」を予測しにくくなり、現在の映像に留まり続けます。
2)目的のない時間が多い
物語上、直接意味を持たない移動や儀式、風景描写が多く挿入されます(それらは物語を前に進めませんが、世界を厚くします)。これにより、映画が「物語」ではなく「生活」に近づきます。
3)観客の身体感覚が作品側に同期する
呼吸、水、熱、重力。
これらが映像と音響で強調されることで、観客は無意識に身体感覚をパンドラに同期させます。
結果として、現実世界の時間感覚が希薄になるのです(いつの間にか「観るもの」ではなく、滞在する空間になるのです)。
こういう人にお勧め
『アバター』1・2を劇場で観た人
はい、当たり前ですよね。引き続き続編も映画館で観ましょう。と、あるあるなんですが「1」は観たけど「2」は観ていないって人が多いですよね……まあ、シリーズものはそうさ、そして大抵「1」を超えられないと言う。間違えた、語弊がある。『ゴットファザー』『ターミネーター』は続編の方がよかった。では『アバター』に置き換えて「2」はどうだって話をすれば、それはちょっと難しい。セットものなんだ。今回の「3」でやっと一息というのが、正確。
『ロードオブザリング』もそうだったでしょ。逆に「2」を観ていないのなら、羨ましいまである。そう言えば「2」が上映されるときに、『アバター』のリバイバルがあって、観に行った。よかった。やはりすごく良かった。どっぷりした。ここで注文をつけるのならば、もし復習の為か、まだ観ていないからということで、なら簡単ね、と携帯だとかタブレットでも、パソコンでも、観ないで頂きたい。可能な限り大きなテレビで観て欲しい。最近、映画安くなったよね。どこでも簡単に観られるようになって、私もたまにそうだけど、「さあ、今から映画観るぞ!」みたいな気合が足りていないかもしれない。もっと大切にして、ちゃんと観て(内容を理解しろだとか言っているんじゃない、ただ真剣に)。ということで、ここまで書くんだ。「1」から観ていないのなら、ちゃんと「1」から観よう。とりあえず「1」については、誰にでも強くオススメできる作品であることは間違いない。世界興行収入1位を舐めちゃいけない。
物語より「世界観」を味わいたい人
長尺映画を「苦」ではなく「滞在」として楽しめる人
善悪が単純でない物語が好きな人
ここから観た人向けの話
ネイティリとキリ、母と奇跡の存在。父の物語から、母と“存在”の物語へ移行
本作で、物語の重心は確実に移動しています。それはジェイクから、スパイダーから、ネイティリとキリにです。『アバター3』は「火」の映画でありながら、その中心にあるのは、怒りではなく母性と存在の問いです。
ネイティリという「すごすぎる母」――彼女はなぜ、ここまで強く、恐ろしいのか
ネイティリはこれまでずっと「強いヒロイン」でした。しかし本作での彼女は、もはやヒロインの枠を(完全に)超えています(無鉄砲で強過ぎますww)
彼女は、「判断が速い」「情に溺れない」「子どもを守るためなら一線を越える」その姿はしばしば「冷酷」にすら見えます。ネイティリは“自然そのもの”に近づいています。重要なのは、彼女が(世間一般で言う)「正しい母」ではないことです。
彼女は、「許さない」「理解しようとしない相手もいる」「それでも守るべきものは、絶対に守る」。これは、自然の振る舞いと同じです。自然は優しいが、慈悲深くはない。ネイティリは、「ナヴィ」「母」「戦士」という役割を超えて、パンドラの論理を体現する存在になっています。だから彼女は「火」と対峙できる。同じく、容赦がないからです。
「ネイティリ」と「スパイダー」――なぜ彼女は彼を受け入れきれないのか
ネイティリがスパイダーに向ける拒絶は、感情的に見えます。しかしこれは差別でも憎悪でもありません。
彼女にとってスパイダーは、「人類の象徴」「家族を壊した歴史の延長」「子どもたちを危険に晒す存在」であります。母であるがゆえに、彼女は「可能性」より「確率」を選ぶ。その冷酷さは、母性の裏面です。
キリという「奇跡の存在」
キリは、明らかに特別な存在として描かれます。出生の秘密、エイワとの異常な接続、そして世界の痛みを先に感じ取ってしまう感受性。しかし彼女は、救世主のように振る舞いません。世界を導こうともしない。キリが持つのは「力」ではなく、共鳴です。
奇跡とは、選ばれることではありません。背負わされることです。
ネイティリとキリの対比
ここで母と娘は、はっきりと分かれます。
ネイティリ:今を守るために世界を狭める
キリ :世界を壊さないために、すべてを感じ取る
どちらも正しい。だが同時には成立しない。この緊張関係こそが、『アバター3』の最も人間的な部分なのだと思いました。
火と母性、そして灰
ネイティリは火を恐れない。キリは火の後の灰を見つめている。母は「今」を守り、娘は「その後」を背負う。
もし『アバター』シリーズが最終的に「和解」や「共存」に向かうとしたら、それはジェイクでも、大佐でもなく、キリが“存在してしまった理由”を世界が受け入れた時でしょう。
キリはエイワの分身なのか
結論から言えば、「分身ではない」と考えます。もし彼女が完全な分身なら、彼女は迷わない。苦しまない。傷つかない。
しかしキリは、過剰に感じ、過剰に苦しみます。彼女は神ではありません。むしろ、神に近すぎる人間です。
エイワが世界そのものだとすれば、キリはその声を、たまたま一番近くで聞いてしまった存在なのです。
だから彼女は奇跡であり、同時に不完全です。
エイワは均衡を保ちますが、キリは均衡に耐えきれない。この「不完全さ」こそが、彼女が分身ではない証拠だと思います。
人類は許されるのか
――『アバター』シリーズを観て、私が思うこと。
許されない。でも、切り捨てられてもいない。
これが、今の正直な答えです。
『アバター』における人類は「悪」ではない
シリーズを通して、人類は明確に加害者として描かれます。資源を奪い、環境を壊し、異文化を踏みにじる。でもキャメロンは、人類を「理解不能な怪物」としては描かない。
彼らはいつも、
生き延びようとしている
自分たちの論理では正しい
失敗を認められない
つまり、人類はあまりにも人間的です。だから許しにくい。
許しとは「免罪」ではない
もし人類が許されるとしたら、それは和解や仲直りの形ではないと思う。『アバター』が一貫して拒否しているのは、「分かり合えたからOK」という物語です。
人類は、
取り返しのつかないことをした
もう元には戻れない
それでも存在し続ける
この事実から逃げられない。許しがあるとすれば、それは罰を免れることではない。
ネイティリの答えは「NO」
ネイティリの視点に立てば、人類は許される存在ではありません。
家族を奪った
世界を壊した
いまも脅威であり続けている
彼女が人類を受け入れないのは、復讐心ではなく現実的判断です。彼女の「NO」は、感情ではなく、生存戦略。この否定は、作中でも正当です。
キリの答えは「問い続ける」
一方でキリは、「許す/許さない」という二択を拒みます。
彼女は、
すべてを感じ取ってしまう
加害も被害も切り分けられない
だから決断できない
これは弱さではありません。世界を一度に見てしまう者の不幸です。キリがいる限り、人類は「完全には拒絶されない」。でもそれは、救済ではない。
スパイダーが示す、最も残酷な可能性
スパイダーは人類の「未来の姿」です。
彼は、
罪を背負って生きる
どこにも完全には属さない
それでも生き延びる
彼は許されていない。でも排除もされていない。それが、人類の立ち位置に一番近い。
そして、私の結論
人類は、許されるために存在していない。
それでも生きるしかない存在として、パンドラの世界に描かれている。『アバター』は、「人類は救われるべきか?」という問いを立てているようで、実はこう言っているのでないでしょうか。……救われなくても、生き続ける覚悟はあるか。許されないまま、灰を背負ったまま、それでも選択し続けられるか。そこに答えを出せるかどうかが、人類の“未来”なのだと思います。
終わりに
本作の『アバター:ファイヤー・アンド・アッシュ』は、観る映画ではありません。滞在する映画です。『アバター3』は、スペクタクルでありながら、極めて静かな問いを投げかけます。
世界とつながるとは、どういうことか。その重さに、人は耐えられるのか。
さて、時間が引き延ばされたように感じたのは、あなたがその世界に「生きていた」証拠だと思います。シリーズはまだ続きます。けれど本作は、一つの転換点として、強く記憶に残る一本でした。
皆さんはどう思いましたか? いやあ、いったんはケリがついたのかな? でもまだ4・5ってありますからね。楽しみですね。えっ!? なんだって、もう一回観たくなってきたなって、それなら劇場に足を運びましょう! 次はちょっと違う観方ができるかもしれませんよ。それではまた!

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