『砂漠』紹介および考察

小説

基本情報

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 伊坂幸太郎さん10作目、2005年の小説です。伊坂さんと言ったら、言わずと知れた売れっ子作家ですよね。ですが、今回紹介する『砂漠』、なぜか認知度が低いのです。しかし、しかしですよ、面白さは折り紙付きなのです! もう、抜群に!
 もちろんこんな風に紹介するくらい、私の好きな作家です。伊坂さんの初期の作品群『オーデュボンの祈り』『陽気なギャングが地球を回す』『重力ピエロ』『アヒルと鴨のコインロッカー』『グラスホッパー』『死神の精度』など、どれも楽しく読みました。シリーズ化や、映画化もされましたよね。それから直近で言えば『逆ソクラテス』『777』と作品を今もコンスタンスに書いては売れる、という本当に、本当の超売れっ子作家さんなのですが、問題は『砂漠』です。伊坂さんは様々な作品で多くの文学賞を受賞しています。ミステリ・ランキングでもド常連ですが、『砂漠』は無冠です。信じられない!!

 私は声高に言いたい!!
 伊坂作品の一番は『砂漠』だと!!

 こんなにも面白くって、魅力的な登場人物を抱えた小説は他にない!!

 最高の青春が、ここにあります。
 という熱い紹介から始まります。ジャンルは青春。読了目安時間は7時間半です。

本作には麻雀の要素が含まれます。

 作中では、大学生らしく? 中国語と確率の勉強と称してたびたび麻雀をしている描写が描かれています。ただしギャンブル要素少な目、青春に重き。麻雀牌が多々出てきます。

 「麻雀はさ、結局、自分を納得させるゲームなんだよ。言い訳を考えるゲームだ」

 これは、作中に出てくるセリフですが、なかなか的を射ています。それが分かります。なぜなら私も麻雀に夢中になった口です。きっと伊坂さんもそうだと思っています。
 脱線しました。麻雀のルールが分からなくても大丈夫です。伊坂さんがちゃんと簡潔に、概要を教えてくれます。安心して下さい。

簡単なあらすじ

入学した大学で出会った5人の男女。ボウリング、合コン、麻雀、通り魔犯との遭遇、
捨てられた犬の救出、超能力対決……。共に経験した出来事や事件が、互いの絆を深め、
それぞれを成長させてゆく。自らの未熟さに悩み、過剰さを持て余し、それでも何かを求
めて手探りで先へ進もうとする青春時代。二度とない季節の光と闇をパンクロックのビー
トにのせて描く、爽快感溢れる長編小説。

伊坂幸太郎『砂漠』新潮文庫 背表紙より

面白いと思うところ

 まず完成度の高さ! 春夏秋冬と大きく構成を4つにわけて、書かれています。起承転結、ということでもないのですが、春夏秋冬と時系列に並べ、物語を綺麗に完結させます。

 そして、圧倒的に西嶋!! 読んだ人には分かると思いますが、読む前の人にも、まず彼を紹介したい。ハードルをあげるようなことに近いかもしれませんが、こんなにカッコ悪くて、カッコイイ奴、そうそういない。断言できる。とにかく『砂漠』と言えば西嶋なんです! 作中では、西嶋からポンポンと名言、迷言? が飛び出します。それは、西嶋というキャラクターだからこそ発せられる言葉であり、非常に心に響くものがあります。

とにかくね、格好悪いけど、堂々としているんだ。
見苦しいけど、見苦しくない。西嶋を見てると、何でもできる気がする。

 ここがイチオシかな、シビレルますよ。引用します。

 募金の話になって、「偽善っぽくて嫌」と顔を歪める女の子もいて、~単に、自己満足っぽい、だとか、そういう言葉が笑い声と一緒に聞こえると、西嶋は「何を言っているんですか」と声を上げる。

「そうやって、賢いフリをしてね、得する人間なんていないんですよ。この国の大半の人間たちはね、馬鹿を見ることを恐れて、何もしないじゃないですか。馬鹿を見ることを死ぬほど怖れてる、馬鹿ばっかりですよ。募金箱を抱えている人が、実は詐欺師かもしれない、なんてね、そんなことまで勘ぐってどうするんですか。寄付してやればいいんですよ、寄付してやれば。偽善は嫌だ、とか言ったところでね、そういう奴に限って、自分のためには平気で嘘をつくんですよ。」

伊坂幸太郎『砂漠』実業之日本社単行本 p.81

 句点が、特徴的ですよね。あと一文、付き合って下さい。先の話の続きなんですよ。とにかくこのあたりは西嶋の独断上で、私は大好きなんです。合コンで、タイムスリップして、過去を変えちゃうことがいいのか、悪いのか、とか話している時に、やっぱり歴史は変えちゃうようなことはしちゃいけないよね、みたいな、そんな話でした。ここでも西嶋言います。

「さっきの募金と同じですよ。関係ないんですよ! 歴史とか世界とかね、今、目の前にある危機を、それですよ。抗生物質をあげちゃえばいいんですよ、ばんばん、みんなに広めちゃえばいいじゃないですか。あのね、目の前の人間を救えない人が、もっとでかいことで助けられるわけないじゃないですか。今、目の前で泣いている人を救えない人間がね、明日、世界を救えるわけがないんですよ」

伊坂幸太郎『砂漠』実業之日本社単行本 p.83

 酒の場で、突然こんなことを言っちゃう西嶋。当然、場は白けましたが、彼は自分を曲げないんです。そして、間違っていると思っていることに対して、場の空気を読むこともなく、何の抵抗もなく自分の違う意見を言うことができるんです。
 気がつけば西嶋のことしか書かなかったですが、そのくらいパワフルなんですよね。
 もちろん、これだけってことはありません。他にも面白いところはいっぱいあります。私が西嶋推しなだけで、他の登場人物も素敵ですよ。クスっと笑えるところもいっぱいあります(西嶋で笑うことが多いですがww)。

こういう人にお勧め

 かつて少年だったみんなへ、というようなフレーズがピッタリ!? それか、大学生であった皆様へ。こういう大学生活に憧れた皆様へ。思い出しますよ! めちゃくちゃリアルです! これは、後で書きますが、伊坂さんの経験談から書かれています(断定は言い過ぎですかねww)。そして、懐かしむこともできます。
 大学生の頃はよかったよな。なんて、現実逃避みたいに思うのではなく、ちょっと疲れちゃったなぁ、なんか大切なことを忘れてそうだと感じたら、是非『砂漠』を読んで、あなただけの青春を思い出して下さい。パワー貰うのに、最適な小説だと思います。
 なんか社会に揉まれちゃって、すれちゃった時、是々非々の判断が出来なくなった時、くどいかもしれませんが、西嶋に触れて下さい。確実に、ある道しるべになります。

ここから読んだ人向けの話

考察

 なんなことは、まるでない。
 まずは、このフレーズを書かないことには始まりません。文体が独特でもあるのが特徴だし、面白い句点の使い方をするし、それが伊坂文体だとも思っています。あと構成が巧な点と、書くべきことじゃないことは、ちゃんと書かれていないのです(要は、書きすぎていないこと。この塩梅が、かなりいい)。もちろん、もっと知りたいのが本音だけど、いいんだ。これは、彼らの物語で、青春なんだって、俯瞰して読むことができます。というくらいに神聖でもあります。

 続いて、東堂の貞操観念について。希望的観測かもしれませんが、ガードはカチカチなのではないでしょうか。西嶋に振られた後、とっかえひっかえ堰を切ったように男と遊びだしますが、結局は、キスくらいまでは許しても、身体は許さなかったのではないでしょうか。彼女は、お試しで付き合った男には、やはり冷たかった。そして痺れを切らした男の方から去って行く。
 どうでしょう。童貞的妄想でしょうかww。先にも触れましたが、『砂漠』の中では、そういうことは書かれないことになっています。これは、北村の目線だからそうなのか、それとも、書くべきにあたいしないからなのかは分かりませんが、結局のところ東堂だって西嶋のことを本気で好きになるような変わり者なのです。そんな、西嶋が傷つくような過去を作らないと思います。

 そして北村ですが、彼は、伊坂さんなのですよ!
 西嶋のように書いてしまいましたが、こんな大学生活がしたかったなあ、という憧れから描かれて、それでも控えめなポジションを選んだ、伊坂さんの影ではないでしょうか?

 なんなことは、まるでない。

 とは……言えないと思います。やっぱり北村は伊坂さんだし、西嶋にはモデルがいると思います。ここまで吹っ切れていることはないと思いますが、きっといた。小太りで、眼鏡の奴だ。もちろん誇張はしているけど、幹のようなところは一緒だと思います。で、あとは脚色。鳥井も、南も、東堂も。
 だいたい、鳥井はおちゃらけだし、こういう奴はよくいますよね。南のモデルもね、小説ではちょっとやりすぎですけど、すごいのはね「あるかも」とか思うことと、周りが慣れることですよね。ここらへんはリアルでした。そして東堂は幻想。あまりに実態がない。こうであって欲しいという表れだと思いました。だから、西嶋が私たちの期待を裏切らないように、東堂も、期待を裏切らない。こう言って、東堂考察を堅固にするww
 それか莞爾説。莞爾が最後北村たちに言います。「本当はおまえたちみたいなのと、仲間でいたかったんだよな」なんて、しかしどうだろう、伊坂さんは莞爾みたいにパリピじゃないはず、むしろやっぱり北村説が強固で、やっぱり北村は伊坂さんの実体験で、同じようなことを経験し、そして莞爾的な奴にこんな一言を言わせて、彼は、『砂漠』の着想を得たのではないでしょうか。

 最後に、タイトルについて考えてみます。「砂漠」であるが、これを「社会」と訳するのはあまりに簡単です。私は「自由」と翻訳したいと思います。厳密に言えば「苦しい自由」。世界はあまりに広大で、何でも出来る。でも、砂漠に水を撒く行為は、不毛です。それでも水を撒くことも出来るし、どこまでも続く地平線に向け、歩むことも出来ます。また、何もしなければ干からびます。これを金欠と解釈してもいい。アルバイトでもしなければ、無限に金が足りない、時間ばっかりあって、でも裁量は自分次第でなんとでも、とにかく自由。いつか、私の上司が言っていたことですが、あまりに個人的な事ですが、ここに記します。「社会に出て、社会人になってからの方がずっと楽だね。とにかく学生の頃の方が、よっぽど辛かった」。言わんとしていることは分かりました。要は、意外とね、組織に入ってサラリーマンしている方が生きることは楽で、学生の頃の方がもっともっと考えて生きていたんだ、ということを上司は言ったのです。大半の大学生なんて、デカダン。そう、自由度の高い「砂漠」にいたのだと思います。いいタイトルだと思いました。
 皆さんはどう思いましたか?

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