基本情報
2024年、文藝冬号掲載。読了目安時間は2時間半。作者は、大前粟生。1992年生まれ。
さて、大前粟生? 聞いたことがない人が多いと思います。彼はいったい何者でしょう。少し調べてみました。まだ作品はそう多くありません。私は彼の作品で『おもろい以外いらんねん』(2021年)、『かもめジムの恋愛』(2024年)を読みました。前者は、アメトークの読書芸人で紹介されたこともあってか、少し有名かもしれません。また、後者は、たまたまですが図書館で借りて読みました。2作に共通するのは、「まあ、おもしろかった」ぐらいです。だけど、私にはそこまででした。が、今回紹介する『物語じゃないただの傷』は、とんでもなくよかった。ちょっとビックリした、ぐらいまであります。
だから紹介させて欲しいです。今回は残念ながらノミネートされませんでしたが、下期の芥川賞候補作に入ると思いました(大マジで)。そういう作品だし、そのレベルだと思いました。また、いい、純文学作品だと本当に思いました。で、特徴はどんな? と聞かれると、……又吉みたいでした。なんだそれ! って、そうですよね、伝わりづらいですよね。他にもありますが、有名どころで説明。関西弁で書いています(※)。そのせいか(別に私が関西だってことはないのですが)、なんだかすごく入って来ます。話し言葉みたいだってことと、やっぱ、関西人の性か、「おもろい」ことを意識している節があります。こう書いて、思いました。そう、又吉の『火花』『劇場』『人間』はどれもよかった。でも、皆さんはまだ「大前粟生」を知らないでしょう(もちろん、知って(読んで)からここに来てくれた人もいると思いますが、これ、共感できませんか?)。まさにこのブログのコンセプトにピッタリ! これから来るよ。だって、面白い小説書いたもん。次作も楽しみです。と、基本情報は作家紹介。とにかく、そんなおもろい小説を書く作家、大前粟生です。
※という記憶が強く残りましたが、冷静になって、雑誌を読み返してみたところ、そんなことはなかったです。さすがに、「関西弁で書かれている」は言い過ぎ。でも、前の2作にも共通して、その印象が残っています。それは、又吉もそう。なんだろうね、当然、関西弁が飛び交っていることは間違いないのだけど、もしかしてそのくらい、関西弁って残るのかもしれません。
簡単なあらすじ
「男の僕が有害な男性性を告発することが、僕の大義なんだ―― 一体、どこで間違った?」リベラル知識人としてメディアで話題の男・後藤。ある日、片脚の悪い男・白瀬が、後藤の秘密を盾に「お前の家に住ませろ」と脅迫してきて……。男性性の問題を見つめ続けてきた著者渾身の衝撃作!
大前粟生『物語じゃないただの傷』河出書房新社 文藝2024冬号より
基本情報で「おもろい」とか書きましたが、「男性性」!? なんだか難しそうな、今風の小説っぽいぞ……ということですが、それは「面白いと思うところ」で書きます。
「簡単なあらすじ」の補足ですが、芸能界でコメンテーターとしてポジションを得た後藤。討論番組では若者のリベラル・マイノリティ側の代表として、対してロートルの保守? マジョリティでポピュリズムの愛染とプロレスを繰り広げていますが、本音では「くだらねえ、茶番」と思っています。
どちらがいいとか、悪いとかじゃない。いつのまにか正直な? 自分の気持ち・感情が分からなくなってきた後藤はいつだって、その場で求められている(役割として)正解を紡ぐ。彼は、もう「後藤将生」というキャラクターを演じるには、限界がきていました。

今どき、あほみたいなこと言おうものなら!

すぐにネットで拡散されるよね。
プロレス部分の引用です。どうですか? こういうプロレス、言い合い。台本も、か、それに近いものがきっとあって、こういうの、たまに見ません?ww
愛染さんも僕も、エンターテインメントの奴隷だ。
テレビの奴隷で、エンタメ業界の奴隷で、お茶の間の感心の奴隷で、ネットでの反応の奴隷。話題を作り続けなければならない、金を回さなければいけないというみんなの強迫観念の奴隷で、資本主義の奴隷。
「だからそれが、閉鎖的で差別的なんだって! もっとオープンにならなきゃ! 愛染さん、他者と手を取り合っていかなきゃ!」
「なに言ってんの。きみのいう他者の利益が、ぼくらの利益と一致しない時はどうする? そうなったら、自分たちを守るために武器を手に取るしかないじゃない!」
「だから! そうならないために対話が必要なんだろうが!」
「対話、ねえ」
「笑うなよ! 愛染さんは、マジョリティの被害者意識を振りかざしてるだけなんじゃないの! 今の社会を延命させたいだけなんじゃないの!」
「ははっ。そりゃあね。マジョリティこそが国の力でしょ。彼らの権利が脅かされることなく、彼らが尊重されることがいちばん大事なことでしょ」
「あんた、自分がなに言ってるのかわかってんの?」
「多数派こそ生きづらいよ。今の世の中。少数派の権利ばっかり優遇されてるんだから」
「呆れてものも言えない」
やれやれ、とカメラを映すように手振りを加えて大げさに言うと、オッケーが出た。
面白いと思うところ
人生って、分からんもんだなあ。今の時代、まさにそう。何者でもなかった自分が、売れっ子に。金は得た。だけど、それが……ある意味地獄の始まりだった。なにも地獄って言うほどのことではないが(世間は羨むだろう)、でも、持たざる者が持つ者を羨むように、得たものは、失うことをそれ以上に恐れている。怖い。もう、引き返せない。茶番だってことは、とっくに分かっているし、それも踏まえて、自分の役割を、演じる。
これ、こういうことありますよね?
同じようなネタ(テーマ)で書かれた小説は、よくあります。度合いはありますが、ああ、これ、俺のことだ。なんかもっとシンプルにリセットボタンとかあればいいのに……実社会でも、明るい奴ほど闇を抱えているとか、ざらですよね。それにも近い。
で、暗い過去という内容(ストーリー)・なんなら構成がまた、素晴らしいです。そして、それを関西弁という文体(スタイル)で、読ませてきます。明るい話じゃないし、エグイまであるけど、関西弁を喋る白瀬のせいか、笑えてもきます。面白いのは掛け合い? でもない。なんというのだろう、物語の輪郭を関西弁で包んでいるのか、何かのつなぎ目がそれのせいか分からないが、とにかく入ってきます。ナイーブな話でもあるのだけど、すごく読みやすいということが、面白くもなっています。
引用です。
昔の後藤の言葉です。
「男は特権的なんだから下駄を脱ぐべき」
「男性たちは優遇されてるんだから他の人に利益を譲るべき」
これに対し、白瀬が言います。
「特権なんて、俺は知らんねん。優遇なんてされてへんねん。それなのにおまえの言い分は、男ってだけでもうあかんみたいや。男はオワコン? 反省しろって? なにを? だって俺、苦しいことばっかりやで?」
そんなの、知らない。
おまえのことなんて知らないよ。
それに、そんなの一般論だろ。「男」の否定が、すぐにおまえの否定に繋がる? それって貧しくないか。真に受けるなよ……なあ、おまえ、もしかして、自分と時代が合ってないことに駄々をこねてるだけなんじゃないか? そう思うけど、言わない。なにが、神経を逆撫でしてしまうかわからない。まばたきのタイミングさえ僕は意識した。
いいですよね!
感心したのは、最後の「まばだきのタイミング~」って、言う表現。こういうところにはただただセンスを感じます。
「そんなの、いろんな人がそうだろ。生活とか仕事が思い通りにいく奴なんてごくわずかだろ。たとえうまくいってても、誰でもそれなりに生きづらさとか惨めさを抱えて、しんどいって思ってるだろ。おまえだけじゃないよ、つらいのは。みんなが報われるわけじゃないんだから、屈辱を感じてたって仕方ないだろ。おまえの暮らしの中にだって、ちょっとした楽しさとかあるだろ。そういうささやかなしあわせをしっかり味わっていけばいいだろ」
「ほんまに、想像ができるだけやん」と白瀬は笑った。
「苦労は誰でもしてるって、俺の苦労を知らんあんたが言ってもバカにしてるだけやで? 結局、自己責任ってことやん。置かれた状況とか悔しさを受け入れろってか。あんたが言ってるんはそういうことやん。はあ。ハハッ。ハハハ。金持ってる、ええ家住んで、恵まれてる奴がなに言っても見下してるようにしか聞こえへん。想像はできたって、実感してないんやから意味ないやろ。あほやんけ」
なあ、なあ、と白瀬は言った。
「そんなんやから、後藤将生は、嫌われてるねんで。偽善者さん」
ここでは下線は引きませんが、ワードで書くと校閲が多い。関西弁。完全に話し言葉。でも、めっちゃ入って来る感じがしませんか?
こういう人にお勧め
芸能界に興味ある人、闇。最近の作品で言えば『推しの子』も、ちょっと近いです。
「今本」。こんな言葉があるか知りませんが、この言葉以上に説明できません。「今の本」「今、読むべき本」そんな感じです。
この小説のどこか優れているのかと言うと、文体・ネタ・内容、全部兼ね揃えているところです。そしてそれらをうまくまとめている技術ですね。これはね、HARUの分けで言いますと以下、記事「純文学とは」の④にあてはまります。
とにかく、バランスがいいのです。なかなかないよ。良作。「基本情報」に戻るが、又吉に似ている。又吉が好きなら、これもスキ。「ミスチル」が好きなら「バンプ」が好きで、当然「ラッド」も好きに決まっているじゃん、みたいな(世代だね)感じです。
ここから読んだ人向けの話
愛染慎也の野望と、その心は?
最後の最後に、どえらいテロを企てましたね。衝撃でした。で、彼の言い分はこうです。「ぼくは、未来を守りたいんだ」からの「憎しみを蓄えてもらうんだよ」「死によって彼らを何者かにしてあげる。~死によって。人生に意味を与えてあげるんだ。未来で生きさせてあげる。彼らが死ぬことが、未来を作るんだ」いやいや、怖い! 何言っているんだって話でしたよね?
本人は、捕まってよかった。議員になったのも、事件の濃度を高めるためだとか言っちゃう。「ぼくの意思は世界中に感染していく。報われない男たちの思想が芽吹いていく」なんだこれ! からの長広舌は、圧巻でしたし、まあ宗教・カルトでした。事後被害者からの供述からわかるように、たしかに教祖か、神だったのでしょう。でも、なんでそう。白瀬が言いました。「傷に蓋をしているだけ」「瘡蓋を硬くして、直視しないため、瘡蓋をめくりたくないだけや」みたいな、これが、核心をついたのは、明らかでした。まあ、盛大な復讐劇……なんでしょうね。結局は、「可哀そうな人」だった。のかもしれません。んーでもちょっと無責任な気もするなあ。納得感はないし、ただ、白瀬に喋らせたかっただけなのかな。
宮野原太陽との過去とこれから
高2の夏、僕の乳首を潰したニッパー。宮野原太陽と、僕の笑えないに決まってる過去について。エグかったですよね。あの後、宮野原太陽は僕の電話に出ると思いますか? あの電話は、果たして繋がるでしょうか?
私は繋がらないと考えます。宮野原太陽にとっては、僕(後藤)も、笑えないに決まってる過去の一部でしょう。乳首を潰した罪悪感。あと、後藤が美容等に気をつけている描写はありましたが、顔を変えたことは書いていませんでした。あっちは、とっくに気がついています。それこそ羨望の眼差しかもしれません。そうでないにしても、とにかく戸惑ったでしょう。いきなり電話が鳴った。なんだこのタイミング。暗い過去が思い出される。でも、続ければ分かりません。番号が変わっていないんだ。希望がないことはありません。ただ、宮野原太陽にも時間が必要です。仮に、この小説に続編があるのなら、宮野原太陽の物語がなければいけません。
後藤と白瀬のこれから
後藤は、どうして白瀬に友達になろうと言ったのでしょうか?
白瀬が、言葉遣いや、性格に難があることは分かっていますが、本当に裏表のない正直な人間だと思ったからでしょうね。芸能界に染まった人間が、友人選びの際に、もっとも重視しそうな要素っぽいですよね。よく分かりませんが、芸能人に芸能人の友達がいないように、また、友人がいても、昔からの友達ばかり、新しい(ほんとうの)友人が作れないと聞きます。まさにそれ、でも、欲しているんですよね。それに、箸の持ち方は誰よりも丁寧だっていう描写から分かるように、時代か、環境の被害者(こんな言い方をすれば白瀬が怒るかもしれませんが)だというだけで、ひねくれたのも事故のせいで、本当は、人と話すのが好きな、いい奴だからです。出会い方は最悪でしたけど、もう好きなんです。同情じゃない、白瀬は、いい奴……それは言い過ぎかww でも、フラットな奴ではあります。散々こすられましたが、宮野原太陽が背景にあるのかもしれません、それの、答え合わせかもしれません。とか、色々と書きましたけど、結局は後藤の言葉のとおりかもしれません。
この関係は、win – win なんです。後藤に友人が、白瀬に友人が必要。なら、2人でそうすればいい。2人は、これから歩き出せばいい。次のステージに行くのに、1人じゃしんどいんや。だから、一緒に、「友だち」になればいい。きっとそうだ。このあと、白瀬は後藤に代わるのかもしれません。もしくは小説家になるのかもしれません。その才はありそうです。
で、後藤はどうする? まずは宮野原太陽か? それか、本当に愛染と一緒に、消える? 芸能界引退? きっと少し休んで、また復帰。でも今度は、からっぽじゃない。正直に話す、そんな人間になる。私は、そう思います。
皆さんはどう思いましたか?
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