『異邦人』紹介及び考察

小説

基本情報

 1942年、作者はアルベール・カミュ(以下;カミュ)、フランス人。読了目安時間は3時間半。今回ご紹介するのは当ブログの人気記事、遠藤周作の『海と毒薬』と同様に、所謂鉄板。毎年夏になれば、新潮文庫や角川文庫が増刷、オリジナルカバーをつけた、不朽の名作が書店に並びます。『異邦人』は、そこの準レギュラーです。

 『異邦人』は、『海と毒薬』と同じように、『こころ』や『人間失格』のような超メジャー作品のように毎年並ぶことはありませんが、私の記憶では2年か3年に一度はセレクションされるというイメージがあります。また実際に、BOOKOFFに行けば、バリエーションの異なる様々なカバーを見つけることができます。80年以上前の作品ではありますが、やはり名作で、かつ今読んでもめちゃくちゃ面白いのです。世間認知度は、夏目漱石の『こころ』や太宰治の『人間失格』には遠く及ばないにしても、たぶん梶井基次郎の『檸檬』くらいの認知度だと私は思っています(その2つが群を抜いて有名すぎる)。と、このところは『海と毒薬』でも同じことを書きましたが、今回は海外作品なので、そっちの方面で比べてみます。カフカの『変身』、ヘミングウェイの『老人と海』くらいで、そしてたぶん一等人気はサン=テグジュペリの『星の王子様』でしょうかね。でも、『星の王子様』の作者ってあまり知られていませんよね。というのは余談。

 カミュと言えば、同じく彼の代表作で、コロナ禍のなかで、再び日の目を見た『ペスト』を浮かべる人の方が多いかもしれませんね。でも私は『異邦人』の方が好き。手軽に、再読できるという、物語としての短さに優位があることはもちろんですが、本書は、(私の中で『ペスト』より)哲学なのです。不条理と言うことを、よく教えてくれます。カミュは、カフカと同じく、そういう作家です(この点ではカフカの『変身』の方が有名です)。書いてあることは、分かる。でも、どこか奇妙だ。端的に言えば、カフカの『変身』では不条理が個人を襲い、カミュの『ペスト』では不条理が集団を襲います。と、話がそれましたが、とにかくカミュは不条理。『異邦人』は、彼のデビュー作でありませんが、カフカの『変身』と同じように、カミュ・カフカたらしめる大事な作品です。彼らにとってベース、根底にあり、新しいジャンルを確立させました。それが不条理文学。

 ここでキーワードの「不条理」とはなんだろうと、調べてみたした。

1.筋道が通らないこと。道理が合わないこと。また、そのさま。「―な話」
2.実存主義の用語。人生に何の意義も見いだせない人間存在の絶望的状況。カミュの不条理の哲学によって知られる。

出典:デジタル大辞泉(小学館)

 ここでカミュの名前が出てきましたね。そう、それでいい。「不条理」の正体を知りたいのならば、カミュを読めばいい。ということですねww
 また、一つ勘違いされがちですが、カミュは「実存主義者」ではありません。「実存主義」は個人の存在や自由、選択の重要性を重視する哲学を示しますが、実在主義者の最たる人はサルトルです。作品は似て非なるものなので、そこはお間違えの無きように。 
 
 それと、もうひとつ。不条理がなんなのか、ということで、読めば分かると書きましたが、読めば分かる……読んでみた。あれ、なんだこのセリフ、ココロ。……いったい何を言っているのだ、この主人公は、ロボットなのか? 心・感情はどこかに置いてきたのか? 初読の時には、そんなことを思ったことを、覚えています。こういうのは、不条理ではありません。あくまで演出でしかありません。ただ、そんな主人公のムルソーが魅力的なんですよね。




簡単なあらすじ

 母の死の翌日に海水浴に行き、女と関係を結び、映画をみて笑いころげ、友人の女出入りに関係して人を殺害し、動機について「太陽のせい」と答える。判決は死刑であったが、自分は幸福であると確信し、処刑の日に大勢の見物人が憎悪の叫びをあげて迎えてくれることだけを望む。通常の論理的な一貫性が失われている男ムルソーを主人公に、不条理の認識を極度に追及したカミュの代表作

カミュ『異邦人』(窪田啓作 訳)新潮文庫 裏表紙より

 ママンが死んだ。仕事を休まなくては行けない。葬儀に行かなくては。ということでママンのいる、いた老人ホームに行く、死は、死だ。そんなことは分かっている。仕方のないことだ。それと、俺の生活とは別だ。せっかくの休日だ。それは楽しまなくてはいけない。そういうものだ。きっかけがなんであったのか、もう思い出せない。ふとしたことだった、アラビア人のやからを、男気のようなことから銃で撃った。引き金はしなやかだった。殺人の動機は、かの有名な「太陽のせい」だと法廷で語る。この発言に困った弁護士。法廷で、俺は裁かれている。が、まるで俺がいないみたいだ。それに、筋違いに感じる。俺は、あの殺人によってのみ・・、裁かれるべきなのに、検事は違うことばかり言う。それが、面白かった。と同時に、分からなかった。不条理だ。もっとシンプルでよかった。いつのまにか俺の事件は複雑になっていく。もう、うんざりだった。こんな茶番は早く終わりにして、早く独房に帰りたかった。早く眠りたかった。判決は死刑だった。俺を、説得する司祭。俺は、気がついた……俺は、幸福だ。所詮、死は死だ――

 思いつくまま、私なりの言葉で書いてみました。もっと本書の魅力を伝えたい。なので、私にしては珍しくちょっと筋を追って書いてみました。また、ここでは書いていませんが、主人公ムルソーの心の変遷を追ってみて下さい。そしてなによりこの小説の一番の肝は、傍点を打ったところです。ここがまさにカミュ文学、不条理なところです。

HARU
HARU

ママンはフランス語で母だね。

PENくん
PENくん

でも父はパパンじゃないってさ。普通にパパらしいよ。

面白いと思うところ

 論点のすり替え……とは違うのですが、主人公のムルソーが、いったい何で裁かれているのか分からなくなるところは、実に現代的な問題にも酷似していて面白いと思いました。背景? そんなことは事件に関係ない、はずだけど、いつの間にかそれが焦点になっている。最近で言えば、安倍元首相が凶弾に倒れた事件がありましたね、あの事件、不謹慎かもしれませんが、まあ、あれが火種のようになり、話は、世間は統一教会のことで持ち切りになりました。そして、あろうことか犯人を擁護するような動きさえありましたよね。不思議な現象ですよね。いつの間にか背景にフォーカスがあてられ、殺人は、ただの事実になり、マスコミも、コメンテーターも勝手な憶測(私は、これは強く主張しますが、あれは全部勝手な、憶測に過ぎない。昨今、オールドメディアと揶揄されるように、本当に言いたい放題でした。)を連日繰り返しました。

 『異邦人』を読んでいると、なんだこんなこと、ずっと昔からやっているんだって、思いましたね。一般的じゃない、普通じゃない、マイノリティーは悪、いや、悪とまでは言わない。が、理解できない。そして、このことを読者に、訴えてきます。あなたはきっと、読みながら困惑する。きっとあなたは感情移入できないでしょう。でも、それがなんだ。あなたはムルソーじゃない。当たり前なんです。たとえばこんなセリフがあります。 

 夕方、マリイが誘いに来ると、自分と結婚したいかと尋ねた。私は、それはどっちでもいいことだが、マリイの方でそう望むのなら、結婚してもいいといった。すると、あなたは私を愛しているか、ときいてきた。前に一ぺんいったとおり、それには何の意味もないが、恐らくは君を愛してはいないだろう、と答えた。「じゃあ、なぜあたしと結婚するの?」というから、そんなことは何の重要性もないのだが、君の方が望むのなら、一緒になっても構わないのだ、と説明した。それに、結婚を要求してきたのは彼女の方で、私の方はそれを受けただけのことだ。すると、結婚というのは重大な問題だ、と彼女は詰め寄ってきたから、私は、違う、と答えた。マリイはちょっと黙り私をじっと見つめたすえ、ようやく話し出した。同じような結びつき方をした、別の女が、同じような申し込みをして来たら、あなたは承諾するか、とだけきいてきた。「もちろんさ」と私は答えた。マリイは、自分が私を愛しているかどうかわからないといったが、この点については、私には何もわからない。またしばらくの沈黙が過ぎると、あなたは変わっている、きっと自分はそのためにあなたを愛しているのだろうが、いつかまた、その同じ理由からあなたがきらいになるかも知れない、と彼女はいった。何も別に付け足すこともなかったから、黙っていると、マリイは微笑みながら私の腕をとり、あなたと結婚したい、とはっきりいった。君がそうしてほしくなったらいつでもそうしよう、と私は答えた。

カミュ『異邦人』(窪田啓作 訳)新潮文庫 p55,56

 こういうの、理解できませんか? 私はね、少し分かります。
 自分がない、もしくは主体性のなさが伺えます。あとは、ムルソーの発言や思考には、虚無的、厭世的、ということがありますが、私は思ったのですが、あまりに極端ですよね。強すぎる、という拭いきれない違和感が残ります。

 ただ主題※とアプローチの仕方は、とても面白いと語りたい。当然前者は文句なしに面白いに決まっていますが(面白いですよね、意外とここにフォーカスしたモノって、ない気がします)、後者ですよ、この機械のような返答、しかも心情つき、女性は、イラってしたりするのでしょうか、でも男子には、一定数分かる人がいると思います。別に、仲間を探しているわけじゃなくて、そうそう! そうなんだよって! 共感したくなる。カミュの、この書き方は、なかなかない。ただ正直なんだって、思うわけです。

 また、書き方が面白いです。きっとあなたも思うはず、語り手は、主人公のムルソーだって。なにせ一人称ですからね。詳しいことは本書の解説でよく書かれています。また、私の考察の前に、とにかくオススメしたいのは、本書の解説です。これほどいい解説はなかなかありません。このひとつの事実は声を大にして伝えておきたい。
 腹落ちする、というほど深刻な、何か重たい課題を抱えた本ではありませんが、「ああ、なるほど」くらいにはよく沁みます。

※私は、本作の主題は、上記あらすじで傍点を打ったところだと考えています。主題は、たったこの2文字の「のみ」というところに全て詰まっている。要は、焦点がズレています。世間は、ムルソーが犯した行為にではなく、彼の、背景に注目します。そして、彼をまるで「異邦人」、理解できない存在だと考えることです。

こういう人にお勧め

 本書は、意外と今風なんだろうなって、私は思います。主人公のムルソーはたとえばZ世代?……それは違うかww でも、若者っぽく、少し人生の先輩からしたら、分からない感を纏っているところが、近いかもしれません。内に秘めているというのか、コミュニケーション力、とか空気を読む、ということに、少し欠如している感があります。

 そのことについて、私には理解できない。そんな選択肢を持ち合わせていない。とお思いのあなた! 一周回って、今なのかもしれません。今、読まれるべき本なのかもしれません。

 って、こんな長い前フリがあって、言いたい。本作は、太宰の『人間失格』のように、「これは俺のことだ」と訴えかけるようなものではありませんが、衝撃はあります。あなたはきっとムルソーのことを理解できないでしょう。でも、彼の思考は、決して間違っていない。これも、ひとつの解なのです。知見を広げて下さい。こういうのを読むと、若者が理解できない、なんていう逃げのような思考をしなくなりますよ。きっと。

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ここから読んだ人向けの話

「太陽のせい」この発言の意図について

 私の答えは決まっています。至極シンプルです。太陽の暑さにまいった。だるかった、それだけです。何も難しいことでもありません。が、この意見はなかなか受け入れられないというわけですよ。まさか、それで人ひとりを殺すわけがないと、考えるからです!

 でも、私はね、そこまで深くないと思うのですよ。これ、対象を自分に置き換えてみると、よくある話じゃありません? 仕事で嫌なことがあった、恋人にフラれた、極論、天気が悪かった、だから「死にたくなる」それだけ、それが、外に向いただけで、そして実際にそれを行動に移しただけなんだって、思います。ええ、理解できないでしょう。でも、人間なんて、そんなもんじゃないかなあって、私はたまに思う、そう、考えました。

ムルソーとは

 まず、第一部の最後のところを引用します。

 すべてが始まったのは、このときだった。私は汗と太陽とをふり払った。昼間の均衡と、私がそこに幸福を感じていた、その浜辺の異常な沈黙とを、うちこわしたことを悟った。そこで、私はこの身動きしない体に、なお四たび撃ちこんだ。弾丸は深くくい入ったが、そうとも見えなかった。それは私が不幸のとびらをたたいた、四つの短い音にも似ていた。

カミュ『異邦人』(窪田啓作 訳)新潮文庫 p78

 ここね! 違和感ありません? 始めて読んだ時は、思わなかったですが、不幸? そうムルソーが言っているわけですよ。ただ、読み進めてみると、違いますよね? 彼は、幸福に気がつきます。これは、実に物語的だ。これは先述しましたが、違うのです、書き手が別にいることが分かりますね。と、それは本題ではありませんので、次に。ムルソーは、人間として、精神的に、未熟なのです。事の後に、どうなるのかを想像できない、気がつくのは、終わった後、もう遅いというタイミングで、分かります。

 ムルソーが想像できるのは、少し先のことだけ。だから、本当の気持ち、なんて書きましたが、分からない。彼は、やはりどこかで欠落しています。そういうことが、分からない。本書では、書かれていませんでしたが、環境だと思いました。ちょっと作者のことに触れてみます、カミュもそうだったのだと思います、貧乏で、家族は読み書きもできない。自分だけが、違う。カミュは、ムルソーにはモデルがいると別の所で書いていますが、はっきり言えば、カミュも理解できない存在が、ムルソーなのです。愛着はある、でも、分からない。つまるところ、カミュは、ムルソーを、ひとつメタファーとして書いたのではないのかと考えました。

カミュが伝える不条理とは

 最大のテーマですね。カミュは、ムルソーを、まるでスケープゴートみたいにして、捧げました。それはいったい何に?

 多数派意見、世論にです。これは、わからせです。こうでもしてカミュが書くことで、やっと多数派の世間は、この不条理を感じることができたわけです。

 それはどんな不条理かというと、実態、実際でのみ評価されることなく、いわれもない背景に、フォーカスをあてる、という愚行にです。まるで、本書は、ある教科書みたいでしたよね。私たちに、教えてくれました。身も蓋もないことを言えば、ムルソーの心情、心の変遷は、ただ、面白く読めるだけで、不条理がなんなのかということには、なにもリーチしていません。裁判で検事が、世論・新聞屋が、不条理がなんなのかを教えてくれました。

 たぶん、カミュも、それは彼自身に起きたことか、もしくは家族にかもしれませんが、体験談、いわれも無いような仕打ちでも受けたのでしょう。そして、ああ、なんて不条理なんだ、と感じたのではないでしょうか……。

タイトルについて

 最後に、タイトルについて考えてみますね。カミュは、フランス人です。小説のタイトルはフランス語で「L’Étranger」です。当然、私には見当もつきませんが、これは日本では『異邦人』となります。この言葉の意味は異国の人。言葉に、距離を感じますよね。異文化、理解できない人、まさにムルソーがそうでした。近くにいるのに、どこか変な人でした。ん? 宇宙人?? それなら「alien」それは直訳過ぎるのならば「stranger」とかなのかなあ、という、逆の遊びをしてみる。邦題から英題を予測したところでしたが、ふたを開ければ「The Outsider」とのことです。面白いものですね。私は邦題の『異邦人』というタイトルは秀逸だと思いますね。

英語の小ネタ

 「alien」と聞くと、やはり映画のエイリアンが思い浮かぶ人が多いのではないでしょうか。元々「外側の人」みたいな意味合いもあり、ひと昔の成田空港では「alien(外国人)」という表記もありましたww 映画がヒットしてしまったせいで「foreigner(外国人)」に代わってしまったとかww

 「The Outsider」。いいタイトルですね。サイドはイメージするなら「線」です。ラグビーのノーサイドって聞いたことありませんか? 試合終了を意味する言葉です。試合後は、敵、味方の区別(線)をなくして皆で称えあいましょう。という意味が込められています。
 では「Outsider」が、どういうニュアンスになるかと言うと、拒絶感が際立ちます。線を引き、そこの外側(out)の人を指し、「あなたは違う。」というのを強烈に示している言葉です。

 皆さんはどう思いましたか?

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