基本情報
2024年、新潮11月号掲載。第56回新潮新人賞作品。読了目安時間は1時間。作者は、竹中優子。1982年生まれ。
私事ですが、作家を目指す身として、5,6年前から5大文芸誌の新人賞受賞作品をチェックしています。そして『ダンス』。いい作品でした。ユーモラス満載な良作。というところで、私の読書は終わっていました。で、先日、第172回芥川賞候補作品に残ったと知って、記事にすることにしたところです。結果、獲れるか獲れないかは別にしても、いい兆候だと思っていました。なんたって、最近の芥川賞は、面白い(私好み)。直近で言えば記事にした『バリ山行』『サンショウウオの四十九日』。それに、『東京都同情塔』『ハンチバック』『荒地の家族』『おいしいごはんが食べられますように』『ブラックボックス』これは、ただの列挙ではなく、全部よかったです。ただ、やはりこれは芥川賞の話であって、新人賞についてはその限りではありません。打率はぐんと下がるもので、正直に言えば、3作品に1つ。くらいだと私は思います。年間で、7~10作品くらいが新人賞をとり、そして、面白いのは2,3作品、というくらいの感覚です。ちなみに2022年は『ビューティフルからビューティフルへ』だけ。2023年は当たり年で『ハンチバック』『もぬけの考察』『ジューンドロップ』『海を覗く』そして、2024年は『日曜日(付随する19枚のパルプ)』『ダンス』。この中でもピカ一だったのは『ハンチバック』と『海を覗く』でした。そして、『ハンチバック』はそのまま芥川賞を受賞しました。私は、『海を覗く』が好き過ぎて、なんであのレベルで芥川賞が獲れなかったこと、というか候補作品にさえならなかったのが、理解できませんでした。まあ、それは置いておいて。
で、今回の『ダンス』。第172回芥川賞候補作品に残ったというわけです。本命は、というか本線は、私も大好きな乗代雄介氏の『二十四五』だとは思っていますがね、2作品受賞ならば、可能性があると思います。……というドラフトがあったところに、もう結果が発表されていました。私の希望は残念ながら叶いませんでした。でも、この2作を抑えて獲ったのだから相当面白いのだろう。きっとね! だから、また文藝で受賞作2作が載る号を買ってここで記事にします。
さて、話を戻します。竹中優子? ここまでは背景などを語る長いイントロでしたが、少し作者について紹介します。デビューしたてで、まだ何者でもない……わけじゃないのです! 彼女の経歴が凄かったわけです。2016年「輪をつくる」50首で第62回角川短歌賞、第1歌集『輪をつくる』で2022年第23回現代短歌新人賞受賞。同年、第60回現代詩手帖賞を受賞。第1詩集『冬が終わるとき』で第28回中原中也賞最終候補。彼女は、10年前に本格的に短歌を作り始め、それから詩を書くようになり、4年ほど前から小説を書くようになったそうです。※受賞者情報、『略歴』『受賞の言葉』より。
そう、大谷の2刀流ならぬ、竹中優子は歌人・詩人・小説家の3刀流なのですよ! それでね、小説の話。本作が彼女にとって小説家としてのデビュー作なので、私も含め、まだ世の中には『ダンス』しかありません。だけど確信があります。彼女の武器、才能は、この人、生きてるなと思うような、人間を書きます。本作がそうであったし、彼女も、インタビューで今後はどんな作品を書いてみたいですか? という問いに、そう答えていました。彼女の次の作品が楽しみです。
簡単なあらすじ
3人まとめて往復ビンタしてやろう――私は傷心の先輩に振り回される。新時代の会社員小説。
竹中優子『ダンス』新潮社 新潮2024.11号
まてまて、さすがに簡単すぎるww もう少し説明しよう。選評で、選考委員があらすじを簡潔に書いている。それを引用します。
20代の語り手が大人の思春期である30代の下村さんに振り回される様子をチャーミングに描いている。
上田岳弘
社内恋愛で失敗した「下村さん」と同僚の「私」の話。
大澤信亮
はい……どちらも、簡単すぎます。そうなんですよ。あらすじって言えば、そう。そもそも1時間で読み終わるような作品。そして2人は選評の中で同じことを書いています。前者は本作を「うまい作品」だ。と、そして後者は「とにかくうまい」という感じにです。なるほど、話はシンプルで、うまい作品、とにかくうまいということです。私も、一書き手として同意。こういう小説って、いいよね。短いし、人に紹介できる。

「三人まとめて往復ビンタ」の語呂の良さよ!

してやろう。ってフレーズもいいよね。
面白いと思うところ
また選評から引用をさせて頂くが、私もこういうことが言いたい。ということをちゃんとプロは書いてくれる。素晴らしい。
「ダンス」シンプルだがよく練られているのだろう語りで「私」が自然にリアルに書かれていて、その本当らしさが本作をユーモラスで切実なものにしている。「私」も「下村さん」も世界や社会に馴染めていなくて、その馴染めなさもそれぞれ違っていて、それが人生のあるタイミングで重なり合い関わり合ってダンスになる、そのことのかけがえのなさと普遍性が心に迫った。
小山田浩子
主人公の部署には山羊と下村さん、かまぼこ1、2がいる。かまぼこ1と別れた下村さんは会社に来なくなり、主人公は下村さんにビンタをしてやりたいと思っている。
笑わせにきてるな、と身構えさせないテンションにも拘らず、思わず笑ってしまう2人のやりとりが秀悦。全てがカチッと嵌っていて、著者の意図したことが全て達成されているのではなかろうかと思えるほど、完成度の高い作品だった。
2人の女性の人生の一部分を切り抜いた物語で、特に事件も起こらないため物足りなさを感じる読者もいるかもしれないが、1つの作品に対してここまでブレず、細部まで徹底して一定のトーンを貫くのは非常に難しいことである。それでありながら力が抜けていて、小説と向き合う時、著者が気張っていないことも伝わってくる。
私も含めた4人が〇をつけ、実を言うと4人ともイチオシは他にあったものの、この小説は受賞させるべき、という意見はほぼ一致していた。これから先の人生で、ふとした時にこの世界に戻りたいと思うであろう、完成度の高いシェルターのような小説だ。
金原ひとみ
長い引用になって申し訳ないです。それに、山羊だ、かまぼこ1,2だとか分からないでしょうww ほんと、笑わせにきているなと思いました。主人公は同じ部署の同僚を(心の中で)そう呼んでいます。山羊は、垂れ目の山羊みたいな顔をした係長のことです。
休みの連絡を入れてきた下村さんに対して係長が優しく「無理しないで、ゆっくり休んで」と声をかけているのを聞いて、山羊のその善良さを私は恨んだ。
ね、ユーモアあるでしょう。「係長」が「山羊」って言葉に変わるだけで違う印象になります。
「かまぼこ」
タクシーから降りるとき、ひとりで帰れますかと聞く私に下村さんは神妙な顔つきでで答えた。
「かまぼこ?」私は聞き直す。
「かまぼこに見えるんだよ、なんかあのふたり」
ここのかまぼこもそうなのですけど、この技法はいい。「かまぼこ」と命名することで、一気にモブになります。結果、主要人物が際立ち、また、ただのモブじゃ忘れてしまうようなことも、この命名なら丁度いいくらい。もとから主人公と下村さんだけの話で、あとは贅肉に過ぎないのだけど、変に名前があることより、ずっといい。現に3番手の名前は「太郎」。こういうところも「うまい」と思いました。
とにかく面白い。短いし、迷子にならないし、誰にでも読める。たしかに物足りないと言う意見はあるかもしれませんが、とてもチャーミング。それに、下村さんは最高。実際、下村さんは目を引くような美人で、でも笑うとえくぼができて、可愛らしい親しみやすさが急に現れる、そういうギャップが魅力的な人です。と書かれている。歳は30と少し、酒飲み。恋愛で色々と大変ww
そして、そんな魅力的な彼女が話すエピソードがどれも鉄板。ハイティーン・ブギの話に、昔、犬小屋で寝ていた頃の話……これはね、ここでは書かないけどぐっときます。
こういう人にお勧め
突然ですが「不器用」って便利な言葉ですよね。というか「器用」って何? あの人、仕事は出来るけど「不器用」。これって、違うと思うのですよね。「嫌な感じ」って言われるなら、それはそうなんだろうけど、たとえば「愛想がない」くらいは、大目に見て欲しいな。
私は確かに「馴染む」というはっきりしない状態が苦手だった。毎日のように小さな遅刻を繰り返すだらしない人が職場に「馴染んで」いることで一度も怒られたところを見たことがないとか「馴染んで」いない新入社員が「表情が暗いよー。毎日鏡見て」などと声をかけられているところとか「馴染む」ってそんなに偉いのか、むしろ糞喰らえって感じなんですけど、と想いながらこんなにもはっきりと「馴染んでいない」のハンコを押される自分の立ち位置が心配にもなる。小心者の自分が嫌になって、山羊との対話終了後、肩を落として部屋を出て給湯室に行ったところで下村さんと顔を合わせた。
ことの顛末を話す私に、雑な感じで相槌を打っていた下村さんは、「そんなの、糞喰らえって感じだよ。職場には仕事しに来てんだよ」
ねえ、いいでしょう。会社員小説だ。それにほんと、糞喰らえって感じだと思いますし、これに近いことを経験したことがある人、また現在進行中の人、是非読んでみて下さい。
あと、下村さんの名言があります。こういうロマンスが好きな人も、一定数いるはずww
「あのね、本当に泣きたいなら空港のロビーがいいわよ。色々思い出しちゃって。空港のロビーでなら人間は心底泣けるのよ」
「考えたんだけど、彼は一度も嘘は言っていないのよね。出会ってしまったというだけで、彼は一度も不誠実じゃなかったの」
ここから読んだ人向けの話
下村さんのダンスについて
下村さんはやせ衰えていくことが生命の輝きであるかのように、苦しんでいるだか楽しんでいるだかよく分からないダンスを踊っているようにも見えた。私は白けていた。
なぜでしょうか? まあ、分かりますよね。いったいどっちなんだい! でも、楽しさ<苦しみであり、いや「<」だってことは間違いないでしょうが、ほんとうは全然「<<<」でしょうww それも分かる。でも気丈に振る舞う(そう、でもないかもしれないww)下村さんに対し、もっと分かりやすくへこめばいいのに、おとなしくしておけばいいのに、という気持ちから白けたのだろうと思いました。
下村さんに対し、もっと分かりやすくへこめばいいのに、おとなしくしておけばいいのに、という気持ちから白けたのだろうと思いました。
人間関係ドリルについて
山羊の奥さんの職業なんて、どこでみんな知るのだろう。私には渡されていない教科書がこの世には存在するのではないか。人間関係ドリルとか小学校一年ぐらいで配られているんじゃないか? という疑問が頭の隅をよぎった。
書き方がオシャレだと思いました。でもやはり主人公は、悪く言えば視野が狭い。小さな部署で、(書かれていませんが)たぶん山羊は何度も同じことを話していると思います。それを、拾えなかった。もしくは拾わなかった。そんなの糞喰らえって感じ、だからです。が、どう思いますか? 私は、やっぱ馴染めない、と言うこと以上に、不器用過ぎる、興味なさ過ぎることにも問題があるのだと思います。流石に、これでは生きづらい。必要スキルなのですよ、こういうのも全部。だからさ、仕事だけしていてもダメ。これは得意不得意で括る前に、やはりなんとかしなくていけないことなのでしょう。
主人公は下村さんのことが好きだけど、苦手
面白いですよね。そりゃあ、振り回されるから苦手です。好きなんですけど、あまりに違う生き物だから、そう感じる。分かります。私にも、そういう人がいました。頼りになるんだけど、どこか少し怖い。とも似ていると思います。
三十代は人を別人にする
これはそう! 私もそう!(聞いていないでしょうけどww) でも、これは経験談から語られる言葉。下村さんがそうだった。私もそう! なぜだろう、二十代の時より、十代の時よりずっとそう思います。イベントが多すぎるのかもしれない。仕事もそうで、色々なことをする。後輩がぐっと増える。だからでしょうか。ほんと、別人になる。そして、大事な、人生の分岐点……ですね。そういうことを教えてくれました。
それから十数年後について
書いた意味は? 主人公が下村さんに追いつく必要があったからです。そして、居なくなった下村さんが、今も変わらずに元気で生きていることを確認することが、この小説において必然だからです。だから決して偶然なんかじゃありません。そして、物語性の為でもありません。ただの必然です。あと、うまいのは、主人公にあまり喋らせなかったですね。太郎のことも話しませんでした。彼は3番手でしたたが、彼も結局のところモブ。あと最後に「またね」で分かれるの、いいですよね。主人公も人生の第3部に突入です。これからは、下村さんと仲良くするのでしょうね。きっとそうだと思います。
皆さんはどう思いましたか?
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