『私の消滅』中村文則の紹介

小説

基本情報

 2016年、ヤバい本。純文学※。読了目安は3時間。作者は中村文則。私の大好きな作家。そう、いきなりですが、私にとっての鍵。私が小説に本当にハマることになったきっかけが、彼。ちなみにその入口、門は村上春樹です。私は、いつかのインタビューでこう答えるって、決めているのです。

僕にとって村上春樹は門で、中村文則は鍵だ。

 私の小説との出会いです。プロフィールでも書いていますが、私の大好きな作家であるこの2人。村上春樹ではじまり、読書が日常になり、色々な作家の小説を読みました。そしてある時、中村文則に辿り着きました。それはたまたまでしたが、その時、ガチっとハマった。そこから私はどっぶり小説にハマったわけです。それから中村文則縛りを続け、全作読みました。今も、新刊が出れば読みます。とにかく私にとってはそういう作家です。あの時の衝撃は、安直な言い回しですが、雷に打たれたような、それか沼に落ちたような、とにかく刺激的で、そして、抜け出したくも、抜け出せそうになかった。……彼の文章に近づく。そうだ、依存。中毒性がある。伝播する。村上春樹もそうだった、「ハルキスト」そんな言葉が生まれたくらいだ。だけどこれは、中村文則にもある。染まりそうになる。彼の、悪に。彼は、暗い、小説を書く、だけどそこには同時に希望がある。私はそう思うんだ。

 それでは、中村文則について。

愛知県東海市公式ウェブサイトより※

※なんというところから引っぱって来たって話ですが、彼は出身の愛媛県東海市のふるさと大使だそうですww 

 どうですか? イケメンじゃないですか。別に、作品にとって作家の顔情報は必要のないものかもしれませんが、私は、知っていてもいいと思う。彼は、前にここで紹介した「羽田圭介」ほどではありませんが、作家の中では露出が多い方。それと後述しますが、これは私が大好きだってことはおいておいても、「中村文則」は押さえておいた方がいい作家だと思っているからです。

 さて、まずは彼の好きなエピソードを1つ、お話させて下さい。どこかの出版社の企画で、上智大学で行われた講演会での話です(骨子は合っていると思います。ただし、私の記憶の中の話です。言葉選びも、私の中で盛大に変換されています。その点はご了承ください)。その話は、彼のデビュー作は『銃』ですが、彼がまだ何者でも無かった頃、フリーターで、小説家に憧れ、賞レースに応募した時のことを話してくれました。はじめて書き終わった時に、彼は、すごいものを書いたぞ! これで、世界を変えてやる。変えてやることが出来るぞ! 俺は、なんて天才なんだ、驚愕するほどの才能。文壇に激震が走る。さあ、印刷した。しっかりと綴り紐で、これで準備OK。宛先を書いて、封筒にオン。投函した。ちゃんと投函した。後は待つだけ。それだけ。それだけだったが、待てども返事はない。おかしいぞ。絶対におかしい。もしや! 郵便局員の怠慢、もしくは事故か! クソ野郎! なんてひどい目にあった。俺は、不幸者だ。あれほどの傑作が、日の目を見ないことなど、許されていいはずはない……。なんてことを言う笑(さすがに最後部分は言っていないでしょう。でも、私にはそう聞こえ、そう記憶してます。今回、文章にしてみて、そのおかしさに気がつきましたww) 彼は、フリーターである時、ただ、小説と向き合っていた。が、新潮新人賞2回、群像新人賞2回、一次選考も通貨することなく落選しているという背景があるとのこと、面白いものですよね。彼ほどの人だって、そうなんだ。

 そして、結果から先に書きましたが、彼は、2作目は郵便局を変えたそうです。なんたって、本気で落ちたのは郵便局員がちゃんと送らなかったからだと真剣に考えていたから。が、落選。一次選考も通らない。

 絶望。これは、よく分かります。書けば分かる。純文学なら尚更ですよね。物書きには共感できると思っています。彼は、その後も書けど応募、一次選考も通らない。繰り返す。はっと気がつく。気がつく……というよりは、書いた小説を客観した。自分と対峙する。で、あの『銃』が生まれた。彼は自身と対峙し、今の文学シーンがどうだとか、ウケる、とか上手いものを書こうなどと言うことは、いったん捨てて好きに書いた。そして『銃』。かの有名な(私にとっては、というだけかもしれませんがww だけど、個人的には『人間失格』などと並ぶくらい)冒頭だけは引用させてもらいます。

 昨日、私は拳銃を拾った。あるいは盗んだのかもしれないが、私にはよくわからない。これ程美しく、手に持ちやすいものを、私は他に知らない。今まで拳銃に興味をもったことなどなかったが、あの時私は、それを手に入れることしか考えることができなかった。

中村文則『銃』河出出版

 この文体、文法、クセ強ですよね。これがもう、癖になる。日本文学というより海外文学の翻訳版に近い。それもそのはず、彼はカミュを、サルトルを、ジットを、カフカを、ドストエフスキーを好んだ。初めの読書は『人間失格』で、それから太宰を全部、からの芥川、三島と日本文学も当然読んでいますが、明らかに海外文学に強い。読んできている。それが、如実に文体に、個性として出ています。

※ただの純文学ではありません。純文学にあまり明るくなければ、これは「ミステリー」だって説明してもいいと思います。ただ、確実に、ごりごりの純文学の領域にいるってことには間違いありません。

カミュの『異邦人』について

 少し脱線しますが、カミュの『異邦人』について。作家連想読み、という言葉があるかは分かりませんが、やはり中村文則を読んだ後は、カミュの『異邦人』に触れる必要があります。その逆は、どうか分かりませんが、彼を作家たらしめ構築している要素は、無下にできない。とか、そんなこと言わなくても、カミュも大好きなので、それはそれで。参考に、『異邦人』の冒頭を引用します。

きょう、ママンが死んだ。もしかすると、昨日かも知れないが、私にはわからない。養老院から電報をもらった。「ハハウエノシヲイタム、マイソウアス」これでは何もわからない。恐らく昨日だったのだろう。

カミュ『異邦人』(窪田啓作 訳)新潮文庫

 後半部分は違いますが、前半は同じ、同じ構文です。これを、中村文則は無意識に書いた(あとで2つが非常に似ていることは本人も気がついています)。だいたいね、これは寄せたくても(似せたくても)、普通は寄らない(似ない)ですよね。で、ここからは少し伏線。今回ご紹介する『私の消滅』ですよ。無意識と意識で、この小説は生まれました。そう、この時の、講演会の課題図書が『私の消滅』でした(この時の新作だったって話でもありますが、聞けてよかった。なぜなら、物書きの端くれとしては、この小説は、どうしたってプロットなんかできないとさえ思っていたからです。普通じゃない。だから、聞けて良かった)。




簡単なあらすじ

「先生に、私の全てを知ってもらいたいのです。私の内面に入れますか」心療内科を訪れた美しい女性、ゆかり。男は彼女の記憶に奇妙に欠けた部分があることに気付き、その原因を追い始める――。傷つき、損なわれたものを元に戻したいと思うことは冒涜なのか。Bunkamuraドゥマゴ文学賞を受賞した傑作長編小説。

中村文則『私の消滅』文春文庫 裏表紙より

 純文学作家、中村文則の、たぶん中間地点で発表された作品。作家人生15年で辿り着いた境地。傑作『去年の冬、君と別れ、』をさえ凌駕する。純文学で書かれたミステリー!! 
 この作品も、冒頭がどうにも怪しいのですよ。

 このページをめくれば、
 あなたはこれまでの人生の全てを失うかもしれない。

中村文則『私の消滅』文春文庫

 どうにも胡散臭い! しかもコレ、太字で書かれている。怪しいなあ~なんて思います。冒頭で、ページ?  めくる?  そうです。いきなり気がつくわけです。これは、手記(告白)系小説だってことに!

HARU
HARU

ブログの体験記も手記だね!

PENくん
PENくん

見てもらう前提のブログも手記というのだろうか?

面白いと思うところ

 本作、『私の消滅』は中村文則の小説脳で書かれた(純文学で書く※)至高のミステリー小説です。複雑さの限界に挑んでいます。たぶん、ギリギリ。なんなら少し超えている感はあります。構成はかなり複雑。彼はこれを、作家人生15年を経て、脳が無意識に小説を構築し、それを意識が見つけにいくという作業で書きました。……変なことを書いていると思うでしょうが、読めば、私が言っていること、彼がそうして書いたのだろうということが分かると思います。とにかくスゴイ、そして複雑なのです! それは、内容と言うより、構成がそう。でもこれが、とにかく面白い!

※ここもちょっと肝で、中村文則は、まぎれもなく純文学作家で、現代純文学作家のかなり中心にいる作家です。だから、というわけではありませんが、彼が書くのはやはり純文学なのですよ(またまた何を言っているのかって話でしょうが、続きをどうぞ)。というのも変ですが、純文学には、様々な定義はありますが、本質はリアリズムです。ジャンル:ミステリーで括られる小説では許されることが、ジャンル:純文学では許されないことがあります。たとえば、どこかの館に人が集まる、物が落ちて当たって死ぬ、密室殺人、etc.どうでしょう? 私がそうなのですが、やっぱちょっと許容? さすがにちょっとリアリズムを欠くようなことですよ。しかしながら、だからなんだよ、面白いじゃん! に、反論は出来きません、なぜなら物語として成立し、往々にして面白いのが相場だからです。だけどそれは、土俵? か、何かが違う。ルール? なんだろう、例えば将棋、別に飛車角落ちで差しているだとか、その違いってことじゃなくて、将棋とチェスとかに近い。将棋は、獲った相手の駒を使えますよね。でも、チェスではそれができない。感覚は、そういうのに近い。要は、将棋では許されている(認められている)ことが、チェスではできない。どうでしょう? ちゃんと伝わっていますかね? とにかくそういう違いがあるなかで、作家、中村文則は純文学でミステリーを書いています。

こういう人にお勧め

 現代純文学作家のど真ん中を覗いてみたい方。で、戦隊もので言えば黒。彼は決して赤(主流とか、王道)ではありません。確実に、黒。よくて、青くらいでしょうww 『幽遊白書』で言えば、飛影。『HUNTER×HUNTER』なら、キルア。いや、鞍馬か、クラピカだって話かもしれない。まあ、難しい。とりあえず浦飯幽助ではないし、ゴンではない、という話です。という富樫縛りで説明する私ww

 でも、その存在は必要なわけですよ。影。彼は、暗い小説を書きます。そして初期の頃の作品ではあまりその傾向は強くなかったのですが、とにかく調べに調べて、参考文献満載で、小説を仕上げます。たとえば実際の事件、心理学、歴史もそうですが、読めば、ある知見は得られます。完全な私見ですが、私は、彼のスタイルは「伝える、からの考察」なんて思っています。作家が語るのはいいのかって指摘もありそうですが、彼は、何か事件をモチーフに、というより、そのことを世間に(読者に)知らしめ、たとえばある事件に対する(彼の考察(もしくは意見のようなもの))を言いたい。語りたい、という人間だと考えることがあります。作家という職業でなら、それが出来る。……とても危険だ。危険な行為。彼は、「面白さ」というもののベールで小説を包み、私たちに何かを伝えようとしている。それは、悪。かもしれない。さて、どんな悪だろう。悪もある、暗いよね。でも違う。いや、彼はあえて悪を書き続けている。の、かもしれない。では、その理由は?……あなたはどう思いますか?

 これで、終わります。紹介とも言えますが、どちらかと言うと中村文則の紹介、愛を語ることが多かったですね。長めの基本情報ww でも、この記事がきっかけで彼を知って、『私の消滅』を読んで、彼の小説を読んでくれたら嬉しい。彼の小説は全部面白い。今回紹介した作品以外にも芥川賞受賞作品『土の中の子供』、あとは『掏摸』。そしてなんと言っても総合小説、圧倒的彼の代表作『教団X』など、他にもいっぱい。是非。もし、まだだという人がいるのならば、読まなくてはならない。彼ならきっとこう結ぶ、それは使命だと。

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