はじめに
今回、およそ20年ぶりに再読した『ノルウェイの森』に、僕はまいっているわけで、本編の前にこんなイントロダクションからはじめることにした。要は、どうにも元気とは言い難いという状況にあるわけなんだ。その原因が、何かメカニズムの分からない掃除機みたいなもので生きる精気を吸われたみたいなんだ、とかそんなとんでも話を言いたいわけではないが、ただ、それこそとんでもない「喪失感」が、僕を襲った。ここはイントロで、導入なので、あまり関係のないことを徒然と書くことが許されている、と僕は思っている。
僕がちゃんと読書をするようなになった10年前くらいから、ある読書アーカイブがある。そこには、読んだ本に100点満点で点数をつけている(5点刻み)。あと、読了目安時間、それと簡単なコメントを残すというもの。ちなみに、満点となる100点はつけたのは今のところまだ2作、ほぼ満点の95点をつけたのも、10作もない。何も隠すことではないので、言えば100点をとったのは『風の歌を聴け』と『人間失格』だ。後者はね、まあ定番だろう。ここでも記事を書いたから、そちらも読んで頂きたい。

好きな本は何回も読むもので、たとえば『人間失格』。10回は読んでいるし、『風の歌を聴け』もたぶん同じくらい読み返しているだろう。そして何より療養としても機能している節もある。手前味噌で申し訳ないが3年前くらいに別のところで書いた記事がある。どうやらまだ生きているみたいなので、それも貼る。

それで本作『ノルウェイの森』はなんと95点! 自分でも驚いている。こんなにも良かったのかって、ほぼ満点。だけど、減点した5点が何なのかは読んだ人向けで書く。
さて、いったいどんなことを書こう思っていたのか、つもりだったのかは、いつの間にか忘れてしまった。やっぱりそう、さっきまではあまりいい気ではなかったのだけど、書いていると、また読んでいると、それがそのまま何かしら心の療養として機能したのかもしれない。いや、したんだ。今の気分は、それほど悪くはない。いい読み物なのかは分からない。でも、僕には救いだ。とても気に入っている、僕の書き物だ。あなたの意見が聞きたいな。
基本情報
はい、本作はとてつもなく売れた小説ですね。いつの本? →1987年、けっこう前ですね。僕と同い年くらい、40年前の本だっていう。上下巻で、読了目安時間は上巻5時間、下巻4時間半。そう、それでね『ノルウェイの森』はよく売れた。単行本・文庫、上下巻を合わせると国内だけでも1000万部は売れているって話。それに加えて「Haruki Murakami」 は世界レベルなんで、ファンは世界中にいるってこと。なので、これはもしや全世界累計販売部数って話をすれば、1000万の2倍、とかもある話かもしれないぞ、と考えると……恐ろしい。すごいこと。しかもまだ現役! なんたって7月には新作が出るって話も聞く。これはまったく、やれやれ(分かるよね! どこかで使いたかっただけー)。
で、この長編作品は「純文学」。って、そんなことは言わずもがなだって? そんなことは分かっている。僕は、ほぼ彼の全作品は読んでいるんだけど、その中でも初期の青春三部作と本作だけが、正統派? いわゆる「純文学」なんじゃないだろうかと思っている。これは別に、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』『ねじまき鳥クロニクル』『海辺のカフカ』『1Q84』……が、そうではないと言いたいわけではない。だってね、純文学は自由文学だし※。
はいはい、じゃなくて、ある日ハルキストじゃない妻がこう言ったんだ。
「村上春樹って、ファンタジー書く人でしょ。私も何作か読んでいるよ。『1Q84』とか、まさにじゃん──」
雷。その一瞬は理解できなかったんだけど、……そうかも。と思ったのは、嘘じゃない。なんでしょうね、ジャンルって、出身で作家を色分けするのならばデビュー作の『風の歌を聴け』は間違いなく純文学だった。でも、本当はどうだろう。
村上春樹って、呪術師なんですよ。で、領域展開。これ、真面目な話。マンガ『呪術廻戦』で、やっと彼がしている技に、僕達はとてもらしいコトバを充てることができたんだ。
彼が書く文章のリズムと、村上春樹語がなせるワザ。荒唐無稽なようなことも、あの世界観も、なぜか許される。
どうかな、これが妻に村上春樹はファンタジーと言う、ゆえん? なのかもしれない。まあ、ジャンルなんて狭っ苦しいものに入れないで、おもしろいか、そうじゃないか、というシンプルな分けでいいんだけどね、ほんとうは。ざっくりし過ぎかな──
脱線。から戻す、好きな純文学だ。まあ、こんなぶっ飛んだ奴らなんてそうそういないよ。というツッコミは多分にあるんだけどね。説明すれば、『ノルウェイの森』は青春恋愛小説。喪失と再生、かなり喪失より。タイトルにも書いたが、
死は生の対極としてではなく、その一部として存在している。
村上春樹『ノルウェイの森(上)』講談社文庫 p48
この文章が割とはじめの方に書かれているんだけど、それが、分かる(分かるような気がする)。また、読み終わった後に、そう言えば現代パートではどう書かれていたんだっけ? と、読み返したくなる小説でもあります。そして、95点だ。つまるところ、すごくよかったんだ。是非!
※僕の頭の整理の為でもあるが、とにかく僕の考えを一度記事にしてみた。こちらもよかったら。


領域展開は必中効果があるからな。読者に刺さるってかww

『呪術廻戦モジュロ』の虎杖、今すんごいことになってるよな。
あらすじ
暗く重たい雨雲をくぐり抜け、飛行機がハンブルク空港に着陸すると、天井のスピーカーから小さな音でビートルズの『ノルウェイの森』が流れ出した。僕は1969年、もうすぐ20歳になろうとする秋のできごとを思い出し、激しく混乱していた。──限りない喪失と再成を描き新境地を拓いた長編小説。
村上春樹『ノルウェイの森(上)』講談社文庫 背表紙より
下巻の背表紙は少しばかりネタバレするので、それは読んだ人向けのところに書くことにする。にしても、村上春樹って感じがしますよね。これ、馴染みが無い人にはさっぱりでしょうが、もっと本編の中では顕著で、文体でバレる作家です。で、真似する村上春樹チルドレン。が、上手くいかない。それでも僕が小説を書いている時、気がつけばいつの間にか強い引力に、僕もよく引っ張られています。それにしても「限りない喪失」って……この「限りない」とか、なかなか書けないと思う(この背表紙のは編集者が書いたのかもしれませんけどね笑)。
で、あらすじのことだけど、彼がずるいところは、はじめにこんなことを書くんだ。
結局のところ──と僕は思う──文章という不完全な容器に盛ることができるのは不完全な記憶や不完全な想いでしかないのだ。
村上春樹『ノルウェイの森(上)』講談社文庫 p20
嗚呼、これって『風の歌を聴け』の「完璧な文章など存在しない──」に近い。こういう予防線みたいなことを一等初めにするんだ。だけど実際は、完璧なんだよな。文体も、登場人物もみんな、限りなく完璧に近い(ここで書く「完璧」の定義は言葉で説明するのは難しい)。
なんで「あらすじ」のところに、こんなことを書いたか。たとえば美化(≒私が定義する「完璧」のイメージに近づくこと)されているんだ。そう思って読んでみるといい(そうでもしないと、例えば僕の青春なんかが霞むんだ。比べちゃいけない。ここら辺は脚色だって、整理しないとやってられない……)。で、内容は1969年の話で、恋愛青春小説だ。ただ少し、美化が過ぎる。という感じ。
面白いと思うところ
なんて言ったって文章が好き。さて、それが美しい文章なのか、と言われても分からない。ただ、心地いい。そして、比喩がえぐい(ぶっ飛んでいる。か、という意味でなら暗喩・メタファーなのかもしれない)。さて、ここに3つ引用する。一つめは好きで、二つめは素敵。そして三つめは比喩。これはなかなからしいところをピックアップできたと思う。こんなのだ。ご確認あれ。
「『グレート・ギャッビー』を三回読む男なら俺と友だちになれそうだな」と彼は自分に言いきかせるように言った。そして我々は友だちになった。十月のことだった。
永沢という男はくわしく知るようになればなるほど奇妙な男だった。僕は人生の過程で数多くの奇妙な人間と出会い、知り合い、すれちがってきたが、彼くらい奇妙な人間にはまだお目にかかったことはない。彼は僕なんかはるかに及ばないくらいの読書家だったが、死後三十年を経ていない作家の本は原則として手にとろうとはしなかった。そういう本しか俺は信用しない、と彼は言った。「現代文学を信用しないというわけじゃないよ。ただ俺は時の洗礼を受けてないものを読んで貴重な時間を無駄に費したくないんだ。人生は短かい」
「永沢さんはどんな作家が好きなんですか?」と僕は訊ねてみた。
「バルザック、ダンテ、ジョセフ・コンラッド、ディッケンズ」と彼は即座に答えた。
「あまり今日性のある作家とは言えないですね」
「だから読むのさ。他人と同じものを読んでいれば他人と同じ考え方しかできなくなる。そんなものは田舎者、俗物の世界だ。まともな人間はそんな恥かしいことはしない。なお知ってるか、ワタナベ? この寮で少しでもまともなのは俺とお前だけだぞ。あとはみんな屑屑みたいなもんだ」村上春樹『ノルウェイの森(上)』講談社文庫 p59
四月半ばに直子は二十歳になった。僕は十一月生まれだから、彼女の方が約七カ月年上ということになる。直子が二十歳になるというのはなんとなく不思議な気がした。僕にしても直子にしても本当は十八と十九のあいだを行ったり来たりしている方が正しいんじゃないかという気がした。十八の次が十九で、十九の次が十八——それならわかる。でも彼女は二十歳になった。そして秋には僕も二十歳になるのだ。死者だけがいつまでも十七歳だった。
村上春樹『ノルウェイの森(上)』講談社文庫 p71
「世界中のジャングルの虎がみんな溶けてバターになってしまうくらい好きだ」
こいつも本作からの引用ですが、色々と詳細は伏せることにする。にしたって、よくこんなこと書けるものね。
なんか、色々とお洒落なんだよな。それが、イコール面白いなのかは分からない。シンプルなんだ、面白いで言えば、「突撃隊」の話をすればいい。きっと君もクスっと、いやそんなことはない、大笑いするね。間違いない。そんな、とても魅力的な男がいるんだ。君も会ってみればいい。きっと君も好きになる。
──この小説には、ポップで、とか明るい意味での面白いはほとんどない(と思っている)。それこそ突撃隊くらいだ。ただ、思い出すのかもしれない。それこそ、僕の、不完全な記憶や不完全な想いを、だからだろう。何がって、評価の話だ。それこそ僕がはじめて本作を読んだ時、僕はまだ19歳か20歳の頃だったはずだ。ワタナベ(僕=主人公)と同じ年ごろで、時代は2005年か2006年の話なんだけど、ほとんど登場人物と同年代だったんだ。だから分からなかった(今ほどいい評価じゃ全然なかったという話)のかもしれない。どうだろうね。でも、なんだか僕はしっくりくるんだ。
こういう人にお勧め
青春、思い出しませんか。中年にこそ、刺さるのかもしれない。不確かな思い出は美化される。と、なんだか、こうやって書いているとそれらしい答えに近づいているみたいな気になる。
純文学。あの頃の青春を、恋愛を、そこに「死」はなくてもいい(さすがにやり過ぎ)。だけど、きっとあなたも「喪失」している。まあ、こんなに映えた(キャラの立った≒強烈な)直子や緑、ましてレイコさんはいなかった。でも、リトル突撃隊や永沢、適当にクラブで引っかけたような女の子はいたはずだ。それを、思い出す。
村上春樹文学の導入にいい。なんたって正統派純文学だし、(僕は嫌いな言葉なんだけど)感情移入しやすいのかもしれない。で、伏線を回収するようだけど、なんだか僕は元気がなかった。深いところまで、読書に入ることができる。面白いからそうするんじゃなくて、続きが気になるからでもなくて、自分の思い出(不確かな記憶)だからなのかもしれない。そう、僕達はトレースする。
本当? って、疑うんなら、読んでみて欲しいな。『ノルウェイの森』は、いつまでも色褪せない、名作だよ。
読んだ人向け
批評
まずは下巻の背表紙から
あらゆる物事を深刻に考えすぎないようにすること、あらゆる物事と自分の間にしかるべき距離を置くこと──。あたらしい僕の大学生活はこうして始まった。自殺した親友キズキ、その恋人の直子、同級生の緑。等身大の人物を登場させ、心の震えや感度、そして哀しみを淡々とせつないまでに描いた作品。
村上春樹『ノルウェイの森(下)』講談社文庫 背表紙より
そう、大事なのは「ものさし」。そして等身大で、心は震え、哀しみを──「死」の後にやってくる喪失……後? じゃない、対極と彼は書いている。
死は生の対極としてではなく、その一部として存在している。
これが少し、分かった気がする。キズキの、直子の呪縛のように捉えることもできるが、要は、そんなに遠い所にいないと解釈することが近いのだと思う──
さて冒頭【はじめに】で触れたように、20年ぶりに読んだ本作はほぼ満点で、とにかく良かったわけなんだけど(これはきっと永沢さんの言うところの「時の洗礼」でも受けたのかもしれないね。当然村上春樹はまだ生きている。でも、そう言えば例外が許されていた、フィッツジェラルドの『グレート・ギャッツビー』と同じ。)、減点要素がある(全部僕のものさしの世界でしかないんだけどね)。強いて言うのならば、なんだけれどね、官能過ぎるんだということで、満点にはできなかった。と、『風の歌を聴け』の貼った記事でも書いたんだけどね、本作は決して長すぎるようなこともない長編小説なんだけど、だけど、さすがに難しいんだ。ということを書いた。要は、どこかに小さな綻びが生じるみたいなこと。まって、冷静に。上下巻で10時間となれば、やっぱり長い。にして、これだけの減点で(気を悪くしないでくれ、加点式じゃない都合、どうしてもこういう言い方になる。貼った記事に言い分が書いてある)、95点って、やっぱりすごいことだと思う。
官能(・過激)過ぎることは、直子も、緑も、変態で大概だけど、レイコの前に現れた13歳の美しい少女、こいつは悪魔だね。なんか、比べてしまえば、永沢の方がよっぽど普通。ただ、少し闇があるだけ。この小説に出てくる女性陣の性の描写については、賛否あると思う。とりあえず僕は、かなり変な気になったんだ。君はどうだった?
と、直子もそうなんだけど、(永沢の彼女)ハツミが自殺したことも、風の噂のように聞いた僕。これは、永沢のせいだろうか?……違うよね。直子がそうなように、ハツミも、かなり危うかった。んん、難しい表現になる。もう終わった、疲れた……んん、一部になっただけ、いいかい、対極じゃないんだ。いかん、段々何を書いているのか分からなくなってきた。どこに向かっているのか分からない。──当たり前だ。ゴールなんてない。ただ僕は、この小説をとおして、喪失を感じているだけ、もしくは、何かを思い出しているに過ぎないんだ……
映画の感想
上映したのは2010年12月だった。当時僕は大学院の二年生で、この頃はめっきり読んでいなかったけど、浪人の時と、大学一年生だった2004年から2006年にかけての約2年間は、よく本を読んでいた。その頃に村上春樹はずいぶん読んだ。しかもその前年には久しぶりの長編『1Q84』が発売された。しかも「BOOK1」「BOOK2」から約1年後に続編の「BOOK3」が出たんだ。記憶は定かじゃないが、この時くらいには年末には『ノルウェイの森』が映画化するんだ、って、世間は騒いでいた。と思う。出演は松山ケンイチ・菊地凛子・水原希子・玉山鉄二……つい最近も観たんだけど、ここらへんのキャスティングは最高だった。だけど、レイコのイメージは違った。
で、普段はこんなことはしないの(言わないん)だけど映画、最後のレイコのセリフで気に入らないところがある。
レイコが「私と寝て」と言う。これはニュアンスの違いかもしれない。まだ許せる。だけどこれに、ワタナベが「本気ですか」というんだ。あのシーンのこと。僕は、これは、違うと思った。小説ではこう、レイコが「私とアレしない」そう言ったんだ。それに、ワタナベが「僕も同じことを考えていました」だったと思う。そっちの方がずっといい。と、僕は思うんだよね。あなたはどう思う?
あとね、流行っていたからだろうけど、僕の研究室の後輩が彼女と映画デートに、あろうことか『ノルウェイの森』を選んだわけだ。僕の後輩も、その彼女も小説は読んだことはなかったと、後から聞いた。悪いチョイスだと思った。感想なんて、聞かなくても分かる。あの映画は、小説を前提にしている。あの小説がどう映画になるのかを、観る人は確かめる、どこでビートルズが流れるのか、ワタナベを、直子を、緑を、どんな俳優が、どのように演じるのか、ということを楽しむものであって、セリフの取捨選択を確認し、監督のトラン・アン・ユンが解釈? する『ノルウェイの森』を観るものだった。
だから、後輩から「よくわからなかった」「つまらなかった」という感想を聞くことになることは分かりきっていた。そもそもデート向きじゃないと僕は思う。そんな映画観ないで、2人が健全で、近くにいるのならば、抱き合っていた方が何万倍もいい。愛がある。触れちゃいけない。
暗くなる。でもね、勘違いしちゃいけない。僕は好きだね。あの甘ったるい直子の声、ワタナベの「もちろん」も、なんだか癖になる。あまり使いたくない言葉だけど、世界観が掴めていると思った。緑もハマり役だったね、もし、「どうせ」という否定よりな気持ちがあってまだ観ていないのならば、観た方がいい。僕はよく出来ていると思ったよ。
あなたはどう思ったかな。それではまた。
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