『オデュッセイア』あらすじ付き作品紹介と批評──なぜ今、ノーランは神話を撮ったのか? 英雄の帰還と、その代償

映画

はじめに

 なぜ今、『オデュッセイア』なのだろう?
 クリストファー・ノーラン監督の新作が、ギリシャ神話を題材にすると知ったとき、真っ先に浮かんだ疑問だ。『インセプション』『インターステラー』『TENET テネット』僕はノーラン監督の描くSFが好きだ。大好きだ! 時間を操り、現実を疑い、宇宙の果てまで人間を連れていく。難解で、壮大。だけどそれがいい。ところが近年は『ダンケルク』『オッペンハイマー』、そして今度は古代ギリシャだって話だ。いや、SFを撮ってくれよ。と、そんな身勝手な文句はさておき、だいぶ遅れてしまったが、観た。やっぱりIMAXで観たい。だけど、僕の最寄りの映画館は対応していない。だから、ちょっと遠征して、観たんだ。

 分かっていたけど長い。とにかく長い。そして、やっぱり分かりにくい。しかし、凄い。面白かったかと聞かれると、少し考えてしまう。だけど圧倒されたのは間違いない。ただ、それが純粋な面白さだったかというと、どうにも言い切れない。
 それでも、観終わってから妙に引っかかるものがあった。 なぜノーランは、この物語を選んだのだろう。……考えているうちに、あることに気づいた。もしかすると『オデュッセイア』は、ノーランがこれまで繰り返し描いてきた物語そのものなのではないのだろうか……と。英雄の冒険を描いた映画だと思っていた。だが、これは英雄であることをやめたい男の物語なのかもしれない──

基本情報

 原題は『The Odyssey』。監督・脚本はクリストファー・ノーラン。原作は古代ギリシャの詩人ホメロス。全米公開は2026年7月17日、日本公開は2026年9月11日。出演はマット・デイモン、アン・ハサウェイ、トム・ホランドほか。
 前作、『オッペンハイマー』でアカデミー賞作品賞・監督賞を獲得したノーランが、次に選んだのは約3000年前に成立したとされる古代ギリシャの叙事詩だった。
 ちなみに数字の話もしておく。製作費は2億5,000万ドル(約375億円)、世界興行収入は約18億ドル(約2,700億円/2026年10月末時点)だっていう、恐ろしい……そしてもうひとつ、ランキングの話。

 で、実は『オデュッセイア』って次点なんだ。なんと今、11位! というか、ノーラン作品で1番のヒット作だって話。余談までに。

簡単なあらすじ

 舞台は古代ギリシャ。10年に及ぶトロイア戦争(※1)が終結した。ギリシャ軍を勝利に導いた英雄の一人、イタケーの王オデュッセウス(マット・デイモン)は、故郷への帰還を目指す。彼には待っている家族がいる。妻ペネロペ(アン・ハサウェイ)と、息子テレマコス(トム・ホランド)である。
 しかし、帰路は想像を絶するものだった。荒れ狂う海。恐ろしい怪物。人間の力では到底太刀打ちできない神々の存在(※2)。次々と襲いかかる試練によって、オデュッセウスの旅は終わりの見えないものになっていく。
 一方、故郷イタケーでは、帰らぬ王を待つ家族にも危機が迫っていた。王宮にはペネロペとの結婚を望む求婚者たちが居座り、王の不在を利用して権力を奪おうとしていたのである。果たして、オデュッセウスは故郷に帰れるのか……
 そして、長い旅の果てに彼を待っているものとは──

※1 「トロイの木馬」って聞いたことない? これが元ネタ。映画観て、圧巻だよ。
※2 魔法とおぼしきものが存在した時代…… 映画の冒頭に表示されるテロップなんだけど、原作は神話です。先に理解した方がいい。ジャンルはファンタジーで、アクションアドベンチャーです。

HARU
HARU

古代ギリシャをモチーフにした映画作品って結構あるよね。

PENくん
PENくん

『300(スリーハンドレット)』とか『トロイ』も有名だよね!

面白いと思うところ

 まず、この映画を語るうえで外せないのが映像だ。こだわりが半端ない。例えばアバターシリーズがそうでしたが、もう、マニアですよ。変態ですね。巨大な船。荒れ狂う海。古代都市の威容。そして、想像を絶するスケールで描かれる戦闘。とりわけ印象に残ったのは、トロイの木馬の場面だった。巨大な木馬の内部に潜み、敵の城内へ侵入する兵士たち。夜を待ち、内側から城門を開く。そこへ味方の軍勢が一斉になだれ込む。圧巻だった。
 ただし、これは単なる英雄的な奇襲ではない。戦争が終わったと思い込んでいた人々が、安心した夜に襲われるのだ。その残酷さまで含めて、忘れがたい場面だった。
 そして、終盤のアクションも素晴らしかった。長い航海を経て帰還した男が、最後に見せる圧倒的な戦闘能力。肉体的な強さだけではない。経験と知略を兼ね備えた戦士としての凄みが感じられる。

 一方で、映画全体の印象となると、少し複雑だ。
 長い。物語が停滞しているように感じる時間もある。登場人物の関係や神話的な出来事を理解するのに苦労する場面もあった。
 しかし、その退屈さを単純な欠点として片づけることにも抵抗がある。航海とは、次々に事件が起こるばかりではない。何も起こらない時間がある。待つ時間がある。果てしない海を見つめる時間がある。その長さこそ、帰還という目的の遠さを観客に感じさせているのかもしれない。だとすれば、必要な「間」だったとも考えられる。
 ただ、必要だからといって、必ずしも面白いとは限らない。ここが難しい。

 ノーランの映像表現には圧倒された。しかし、物語に最後まで夢中になれたかといえば、そうではなかった。僕が言いたいことはシンプルなんだけど、なかなか言葉に出しずらいんだ……要は、凄い映画ではあった。でも、それがイコール面白い映画であることとは、必ずしも同じではないんだ。※
 それでも、この作品は映画館で観てよかったと思う。巨大なスクリーンと音響に身を委ねることで、初めて成立する体験があるからだ。

※同じようなことを書いた記事を思い出した。『アノーラ』だ。これが面白い、この作品、『オッペンハイマー』の翌年に作品賞を獲っている。どこか繋がっているみたいだね。

『アノーラ』あらすじ付き作品紹介及び批評
基本情報“アンチ・シンデレラストーリー”の衝撃 監督はショーン・ベイカー、2024年のアメリカ映画です。上映時間は139分。本作は2024年のカンヌ国際映画祭で最高賞パルムドールを受賞。さらに2025年のアカデミー賞では作品賞・監督賞・主演…

こういう人にお勧め

 当然、クリストファー・ノーラン作品が好きな人には、ぜひ観てほしい。というのも、はじめにでも書いたが、(観た人向けで詳しく書くが、)ぜんぶ繋がっているんだ……ノーランからのメッセージなんだ、とかそんな批評を書くつもりだ。期待していてほしい。
 ただし、SF的な仕掛けや複雑な時間構造を期待すると、少し印象が違うかもしれない。本作は神話を題材にした冒険映画でありながら、その中心にあるのは、家族のもとへ帰ろうとする一人の男の執念なんだよね。
 また、歴史映画や壮大な戦争映画が好きな人にも、おすすめする。特に『ダンケルク』『オッペンハイマー』に見られた、巨大な歴史の中に置かれた人間の姿に惹かれた人なら、興味深く観られるはずです。
 そして、映画館ならではの映像体験を求める人。
 だけどね、上映時間の長さと、神話特有の分かりにくさについては覚悟が必要だ。ただ、古代ギリシャ神話の知識があれば理解しやすい部分もあるが、知らなくても楽しめるように作られている。 それでも、少しだけトロイア戦争について予習しておくと、物語の見え方は変わるだろう。

観た人向け

英雄ではない。罪人である。

 オデュッセウスは英雄なのか。僕は、そうは思わなかった。むしろ罪人である。トロイア戦争を終わらせた「トロイの木馬」。知略に優れたオデュッセウスは、巨大な木馬に兵士を隠し、敵の城内へ潜入させる。そして夜襲を成功させ、戦争を勝利へと導いた。歴史に名を残す英雄的な功績である。しかし、その勝利は多くの命を奪うことによって成立している。敵を騙し、安心させ、眠っているところを襲う。
 戦争だから仕方がない。そう言ってしまえば、それまでかもしれない。だが、オデュッセウスは違った。勝利の向こう側にある惨劇を、理解してしまったのである。彼の表情には、そんな葛藤が見えた。
 自分はいったい何をしてしまったのか。それは、誰かに責められたから生まれた後悔ではない。自分自身が、自分の行為を許せないのだ。

 ここで重要なのは、彼が王であるということなんだと思う。兵士たちは命令に従った。しかし、その作戦を考え、決断したのはオデュッセウスである。勝利の栄光を受け取る者は、同時に、その犠牲に対する責任も背負わなければならない。 彼はそれを理解できる人間だった。だからこそ、苦しむ。誰かに裁かれるのではない。自分自身が、自分を裁き続ける。それが彼にとっての罰だったのではないか。

王は、なぜ再び人を殺すのか

 故郷へ帰ったオデュッセウスは、再び人を殺す。妻と息子を脅かし、王宮を占拠していた求婚者たちである。この終盤の戦闘は、実にカッコいい。しかし、考えてみると皮肉な話でもある。トロイアで人を殺したことに苦しんでいた男が、故郷に帰って、また人を殺しているのだ。
 それは正義だったのか。僕は、そう単純には考えられない。家族を守るため。王としての責任を果たすため。彼には戦う理由があった。しかし、理由があることと、罪が消えることは違う。彼はそれを知っていたのではないか。
 オデュッセウスは勇敢で、知略に優れ、仲間を率いる力を持っていた。だが、完璧な王ではない。多くの過ちを犯し、その重さを背負っている。それでも、僕は彼を立派な王だったと思う。自分の行為を正義と信じ切ることができない。それでも、王として決断しなければならない。
 そして最後に、彼は王であることをやめる。責任から逃げたのではない。王としての責任を果たしたからこそ、ようやく一人の人間に戻ることができたのだ。

原作との違い

 映画の結末は、原作と大きく異なる。ホメロスの『オデュッセイア』では、帰還したオデュッセウスが王としての地位を取り戻す。ところが、ノーラン版では違う。オデュッセウスは王位を息子テレマコスに譲り、妻ペネロペとともに再び海へ出るのである。20年もの歳月をかけて帰ってきた男が、故郷を去る。
 なぜなのか。自分の罪から逃げたかったのだろうか。
 それとも、もう王であることに疲れてしまったのだろうか。僕は、少し違うことを考えた。
 彼はようやく、王であることをやめられたのではないか。
 トロイアでは王として戦争に勝った。イタケーでは王として家族を守った。しかし、そのたびに彼は人を殺さなければならなかった。王である限り、誰かを守るために誰かを犠牲にする決断を迫られる。その責任から、ようやく解放されたのである。
 そして、もう一つ。
 彼が本当に帰りたかった場所は、王宮だったのだろうか。王座だったのだろうか。違う。妻と息子のもとである。だとすれば、王位を手放したことは敗北ではない。むしろ、長い旅の末に、ようやく自分の帰るべき場所を見つけたということなのかもしれない。故郷とは土地ではない。愛する人がいる場所なのだ。
 もちろん、映画の結末には、亡くなった仲間たちを弔うという意味もある。単純な隠居物語ではない。それでも僕には、彼の旅立ちが、一人の人間として生きるための選択に見えた。

ノーランが繰り返し描いてきた「帰還」

 ここで、最初の疑問に戻りたい。なぜ今、『オデュッセイア』なのか。考えてみれば、ノーランは以前から、家族のもとへ帰ろうとする男を描いてきた。『インセプション』のコブは、夢の世界から子どもたちのもとへ帰ろうとする。『インターステラー』のクーパーは、宇宙の果てから娘のもとへ帰ろうとする。そして『オデュッセイア』のオデュッセウスは、神々と怪物が支配する世界から、妻と息子のもとへ帰ろうとする。夢。宇宙。神話。舞台はまったく違う。しかし、3人の目的は驚くほど似ている。家族のもとへ帰りたい。ただ、それだけなのだ。
 そして、3人とも帰還するために大きな代償を払っている。コブは妻モルへの執着を手放さなければならない。クーパーは娘と過ごすはずだった時間を失う。オデュッセウスは多くの仲間を失い、最後には王座を手放す。
 これは等価交換なのだろうか。何かを得るためには、何かを失わなければならない。しかし、失ったものと得たものが釣り合っているとは思えない。クーパーが失った時間は戻らない。オデュッセウスが失った仲間も生き返らない。交換というより、取り返しのつかない代償である。
 そして、もう一つ共通していることがある。3人とも、帰還する前と同じ人間には戻れないのだ。帰るとは、失ったものを取り戻すことではない。失ったものを抱えたまま、それでも生きる場所を見つけることなのだ。
 しかし、これこそノーランが繰り返し描いてきたテーマの一つではないだろうか。

英雄をやめたい男と、映画界の王

 ここからは、少々大胆な解釈である。オデュッセウスは王であることをやめた。では、この映画を撮ったノーラン自身はどうなのだろう。『ダークナイト』『インセプション』『インターステラー』『オッペンハイマー』。数々の大作を成功させ、現代映画界を代表する監督となった。そんな彼が選んだのは、英雄が長い旅の末に王座を手放す物語だった。
 これは偶然なのだろうか。もしかすると、ノーラン自身の心境が反映されているのではないか。そんなことまで考えてしまう。もっとも、ノーランが本作を最後に引退すると発表したわけではない。映画を観た人間が、そこに監督自身の姿を重ねることはできる。そして、ここには少し皮肉なメタファーがある。オデュッセウスには、王をやめる自由があった。では、ノーランには映画監督をやめる自由があるのか。
 もちろん、ある。しかし、観客はそれを望まない。
 王に王であることを求める民衆のように、僕たちはノーランに映画を撮り続けることを求めてしまう。どんなに完璧な一本を撮ったとしても、まだ次が観たい。まだ驚かせてほしい。まだ映画館で、あの途方もない世界を体験したい。なんとも身勝手な話である。だが、そう思わせることこそ、偉大な映画監督の証明なのかもしれない。

まとめ・感想(凄い映画だった。でも……)

 『オデュッセイア』は、凄い映画だった。映像は圧倒的で、戦闘場面には興奮した。マット・デイモン演じるオデュッセウスも魅力的だった。しかし、手放しで面白かったとは言い切れない。長い。分かりにくい。途中で退屈もした。ただ、その長さには意味があったのだろうとも思う。帰るという、たった一つの目的。それを果たすために、どれほどの時間と犠牲が必要だったのか。映画は、その途方もなさを観客にも味わわせようとしている。だとすれば、この長さもまた作品の一部なのだ。とはいえ、理解できることと、楽しめることは別である。だから僕は、この映画を傑作だと断言するつもりはない。しかし、観終わってから、こんなにも考えさせられる映画だったことには驚いている。
 英雄とは何か。罪とは何か。責任とは何か。そして、帰るとは何か。
 最初は、なぜノーランが今さら古代ギリシャ神話を撮るのか、不思議だった。しかし、今は少し分かる気がする。ノーランは、突然神話を撮り始めたわけではない。ずっと同じ問いを、違う世界で描いてきたのだ。夢の世界でも、宇宙の果てでも、古代ギリシャでも。人間は、帰る場所を求めて旅をする。そして、その旅の中で何かを失い、何かを背負い、別の人間になっていく。『オデュッセイア』は、そんなノーラン作品の原点を見せてくれる映画だったのかもしれない。
 さて、次は何を撮るのだろう。できればSFがいい。いや、何でもいい。まだまだ隠居なんてさせない。僕たちは、次のノーラン映画を観たいのである。

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